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京都のモニュメント
「応仁の乱勃発地」石碑 - 2008年12月14日

室町幕府の8代将軍・足利義政のとき、家督争いをきっかけとして守護大名の細川勝元(東軍)と山名宗全(西軍)が東西に別れて争い始め(1467年)、のち地方に及ぶ戦乱となった。この戦いにより主要な寺院は焼かれ、京の都は焦土と化した。戦乱は惰性的に11年にも及び、最後は勝敗もはっきりせず不毛な戦い大内軍の撤収により消滅した。西軍が陣を置いたあたりが現在の「西陣」である。
アクセス> 京都市上京区御霊前通烏丸東入 上御霊神社


上御霊神社の西側鳥居(2枚目の写真)の右脇に石碑が建っています。ここから応仁の乱が始まりました。

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もし応仁の乱がなかったなら
・現在の京都にもっと多くの国宝が存在し、各寺院は老朽化した建築物の補修費の工面に苦労する。(この戦いで焼けずに残った寺院を探すのが難しいくらい。)
・京都文化が地方に流出せず、京都の一極集中が現在まで続き、江戸(東京)も開かれなかったかもしれない。
・おそらく京都全体が世界遺産に登録されているかもしれない。

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