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北白川天神宮 - 2009年3月1日
Umemiya Shrine - March 1, 2009

北白川天神宮(きたしらかわてんしんぐう)、「てんじんぐう」ではなく「てんしんぐう」と読む。祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)、菅原道真公ではない。8世紀前半、産土神として白川村の久保田の森に祀られ、天使大明神と唱えられていたが、文明年間(1480年頃)、銀閣寺造営に際し足利義政の発願により当所に移された。また江戸時代には照高院晃親王の崇敬を得て「天神宮」としるした額を賜り、以後「北白川天神宮」とよばれるようになった。
(京都市左京区北白川仕伏町42−1)


志賀街道沿い、白川を渡る、北白川天神宮への橋です。この神社は珍しく西向きです。

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遅い時間の訪問でしたので御朱印が頂けるかどうか不安でしたが、偶然、宮司さんが社務所前にいらっしゃってお願いしたところ、快く受けていただき、奥様が書いてくださいました。宮司さんとその奥様ともに80歳代後半とは思えないほど若く見えました。

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「私は毎日、この石段を駆け上ります。」と、宮司さんは目の前でピョンピョンと駆け上がって行かれました。かなり急な階段です。石段の所々、石がめくれていましたが、これはイノシシの仕業だとか。体重が200kgを越える大きなもの。また最近はアライグマもいるとか。シカもいて、外人さんが子鹿を見つけ「バンビがいる」と報告してきたとか。「イノシシは襲ってきませんか?」と質問したところ、「イノシシは人間を見るとびっくりして逃げていく。昼は山で寝ている。」そうな。

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宮司さんはスポーツに長けた方で、警察官をトレーニングされていたとか。また水泳の指導もされていたとか。

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白川では、男は石工、女は白川女、男女共働きの原点です。白川石を初めとした石碑がありました。

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最後に、宮司さんが作成されたという英語版の神社のパンフレットを下さいました。「他人に任せておくと、背景を分かってない人が訳して、とんでもない英単語を使われるからなぁ。それで自分で作った。」そうな。パンフレットには奥様が十二単をめされた写真が載っていました。

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1874年2月10日、白川村立白川小学校は,乗願院南側にあった毘沙門堂を借り受けて開校しました。明治10(1877)年、北白川天神宮の西側に平屋建校舎を新築しました。北白川天神宮の南側、学生マンションの入口に石碑が建っています。

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「白川女塚」と「花塚」です。

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