大河ドラマ・井伊直虎ゆかりの「蜂前神社」
蜂前神社(はちさきじんじゃ)、浜松市細江町中川の古神社。社伝によると応神天皇の時(西暦280年)、八田毛止恵という人が勅命によりこの地を開墾し、本神社を八ケ前(さき)に勧請したとのこと。井伊直虎の唯一の花押が記された古文書が残る。 |
NHK大河ドラマ「女城主、井伊直虎」4月2日(2017年)の放送は遠江国引佐郡瀬戸村が舞台、ここの農民が次郎法師直虎に対し借金を棒引きにする徳政令を出して欲しいと直訴する内容でしたが、この瀬戸村に古くからある「蜂前神社」をご紹介します。
この神社、大河ドラマの放送が決まる前までは、だれにも知られぬ神社でしたが、大河ドラマにより一躍有名になりました。というのは、この神社に古くから伝わる古文書に「次郎、直虎」の花押が見つかったからです。(写真は参道にある石橋?? 川がありません。)
まずは本殿にお参りしましょう。神世の時代からあった神社とはいえ、建物その他は後世のものでしょうが、うっそうとした雰囲気は古代を感じさせますね。
本殿に登る階段です。
本殿です。
社殿の中を覗いてみると正面に例の古文書が飾られていました。
これが「直虎」と署名のある古文書(原本は浜松博物館に収蔵されています。) ここに書かれているのは、まさに4月2日に放送された内容です。直虎は瀬戸村と祝田村(ほうだむら)の村民から徳政令の発令を願い出られますが、金貸しの瀬戸方久とのはざまで徳政令を出せずにいます。
すると小野政次にそそのかされた村民は蜂前神社の禰宜(大河ドラマではダンカンさんが演じています)を通じて今川氏に徳政令を願い出ます。それが聞き入れられ今川氏より1568年、徳政令が発令されますが、直虎は領内の混乱を避けるため2年間、徳政令の施行をストップします。この古文書にはこの経緯が書かれています。
本殿の裏山にある「蜂前神社・天王宮」に登る階段です。
小さな社が「蜂前神社・天王宮」です。
山上はウッソウとしていましたが、木々の間から祝田村を眺めることができました。田畑や民家が並ぶ静かな地ですが、私の住む近くで400年以上前にこんなドラマが繰り広げられていたとは、このことを知るきっかけとなったNHK大河ドラマに感謝!
由緒書きに当時の地名を見ることができます。蜂前神社は井伊直虎の時代、祝田村、瀬戸村、刑部村(おさかべむら)の三ヵ村を氏子としていました。浜松市内から国道257号線を北に進み、都田川の橋を渡る前後の左右の地域です。現在の地名は「浜松市北区細江町中川」となっています。中川村は上記三ヵ村が合併した明治以降の名称です。蜂前神社はそのほぼ中央に位置します。
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