大河ドラマ関連地「小野但馬守供養塔・椿叟塚」
Iinoya, Kitaku Hamamatsu - August 29, 2017
小野但馬守供養塔(おのたじまのかみ くようとう)。井伊家の目付家老「小野但馬守政次」は井伊屋敷にほど近い河原で処刑され、後年、地元民によって政次の菩提を弔うために供養塔が建てられた。椿叟塚(ちんそうづか)と呼ばれる。命日は4月7日。 |
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」において、井伊家の目付役家老として今川家と井伊家の間に入り複雑な役を演じた「小野但馬守政次」は、史実とドラマのストーリーとでは話の流れが異なっても仕方ないのですが、井伊家屋敷にほど近い川原の刑場「蟹淵(がにぶち)」で刑死したことは間違いありません。
当時の為政者(徳川側)からすれば刃向かった敵方として罪人扱いですから墓も作らず粗末に扱われたのでしょう。でも地元の住民にとっては、そのことでたたりでもあったらたまりません。供養塔を次々に建てて但馬守の霊を弔ったのです。「小野但馬守政次」の供養塔は信州街道から路地を入ってすぐのところにあります。なお、うしろのこんもりした山の頂上に井伊谷城がありました。
この供養塔は中井氏(小野政次の妻の実家)が建立したものだといわれています。但馬守の怨霊の祟りに苦しみ、それを鎮めるために。なお、刑場の傍らには真紅の椿の花が咲き、これを奇異に感じてお経を埋めて経塚を建て、椿叟塚(ちんそうづか)と呼ばれました。それが左の3つの石塔。右に並ぶ石像が中井氏によるものだそうです。
当初は刑場に近い川原近くにあったそうですが昭和初期の護岸工事などの理由でこの位置に移されました。左側の尖った大きな石が小野但馬守の供養塔だと言われています。
さらに、左右の小さな石はのちに処刑された政次の二人の子供の供養塔です。(大河ドラマでは独身で、子供はいませんでしたが、、、)石の表面の文字はわかりづらいのですが、但馬守などの名前は書かれていないそうです。
大河ドラマの放映中は参拝者が後を絶たず、その便を図って「小野但馬守政次終焉の地」の案内板が建てられました。場所は井伊家屋敷跡や二宮神社など井伊家ゆかりの地からそれほど離れていません。命日(処刑日)は4月7日だそうで、2017年の命日には彦根市の市民グループ「井伊直虎市民応援隊」の企画により龍潭寺のご住職による盛大な法要が営まれたそうです。案内板はこのグループによって立てられたものです。
路地をを少し奥に進んでいくと視界がひらけて墓苑になっています。
さらに少し進むと赤い鳥居。奥の階段を上がればすぐ左手に二宮神社(小野但馬守を祀る天王社(但馬社)があります)。そのまま上に登っていけば10分ほどで見晴らし抜群の井伊谷城跡です。
なお小野家は井伊谷において井伊家よりも古い名家、一族の菩提寺は龍潭寺で、代々の墓は境内の墓所にあります(黄色い矢印)。政次の弟「玄蕃(げんば)」の墓はここにあるのですが、政次自身の墓はここにありません。(この写真のみ2016年12月撮影)
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