「恩塚山古墳」(浜松市都田町)
Miyakoda, Hamamatsu, JAPAN
恩塚山古墳(おんづかやまこふん)。北区都田町にある常葉大学浜松キャンパスの西側の山中に位置し、恩塚山古墳群を形成する。その中の一つ、A-7号墳が整備され浜松市指定の史跡となっている。 |
浜松市北部、都田の「恩塚山古墳」をご紹介します。浜松市北部は古墳の宝庫、何百という古墳があるのですが、大部分は公式な調査がされておらず、開発により失われたものも少なくありません。その中で「恩塚山古墳」は浜松市の史跡に指定され、よく保存・管理されている古墳です。
恩塚山古墳群は都田川の南岸、小高い丘(恩塚山)の山上にあります。少し離れたところ(東側)から丘の全体を眺めました。左の丸い屋根は常葉大学、丘には緩やかな3つのピークがあり、右の2つのピーク付近に古墳群があります。(撮影 2018年1月)
狭い農道を進んでいくと、道案内の立て札に従って右の山道に入ります。車の場合は道幅がたいへん狭いので脱輪しないように注意して運転してください。
100mほど進むと数台駐車できるスペースがありますので車をおいて進みます。車はここでUターンして帰ることが出来ます。
ゆるやかな山道を登っていきます。
ほどなく金網フェンスが現れ「恩塚山古墳」の案内板。矢印に従って右に入っていきます。
全体が金網フェンスで囲まれ保護されている「恩塚山古墳」A7号墳です。直径は約11mの円墳です。墳丘の高さは推定3m.出土品などから築かれたのは7世紀前半だと推定されています。
羨道の入り口です。奥行きはあまりないようですね。
玄室に入ります。天井まで高さ約2mです。玄室の奥行きはなく左右に広がっています。T字型になっているのです。このような形の玄室は非常に珍しく東海地方では唯一のものです。朝鮮半島との関係を指摘する研究者もいるそうです。
玄室の右壁です。
玄室の左壁です。天井石を支える鉄製の柱が設けられています。
玄室から羨道入り口を眺めました。
墳丘に登ってみました。天井石が露出していて、さらにいくつかの石が抜け落ちて穴が空いています。墳丘に上がる時は穴にはまらないよう気をつけて下さい。
保存公開されているこの古墳を含め、この山には16基が確認されているそうです。A群が12基、B群が2基、C群が2基です。すべて盗掘されたり自然倒壊していて石室が完全な形で残っているものは多くありません。これらはすべて古墳時代の末期、約1,400年前に建造されたものです。詳細に調査すればもっともっと見つかるでしょうね。
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