「鳥羽山城跡と紅葉」
Hamamatsu, JAPAN - Nov.25, 2017
鳥羽山城跡(とばやまじょうあと)。標高は108mだが遠州平野が一望できる。かつてここに徳川家康が武田方の二俣城を攻略するために鳥羽山城を築城した。発掘調査により土塁、石垣、門、井戸、建築跡、庭石のほか、侍屋敷、家老屋敷、蔵屋敷跡などが発見されている。2018年、国史跡に指定。 |
浜松市天竜区にある戦国時代の城跡「鳥羽山城址」が、2018年2月「国史跡」に指定されました。2009年から2015年に渡って詳細な調査が行われ、遺蹟として整備されましたので、あらためて見学しました。
戦国時代の天正3年(1575年)、南に勢力を広げようとする武田軍が二俣城に陣を張りました。これに対抗する徳川家康は鳥羽山城を本陣として武田軍を包囲しました。のち、城としての構えが完成したのは大久保忠世が城主になってからといわれています。1590年には廃城となってしまい城として存在したのは短期間でしたが、多くの遺構が残っており、これらの重要性が認められ国の史跡に指定されたのです。
では城跡見学に出発です。真っ赤に染まった紅葉も合わせて見物! 写真は駐車場から本丸の高台を眺めたところです。
城への正式な入り口は東側の「大手道」です。駐車場から直接入ることができます。
城の規模に比較してこの大手道は幅が広く立派なんだそうです。奥に進みます。突き当りは「東の丸」の石垣、左に曲がると「大手門」です。
ここが「大手門」のあったところ。石垣だけが残っています。門だけでも復元できるといいですね。現在は鳥羽山公園の入り口になっています。ここを入ると広々とした「本丸」です。周囲はぐるっと土塁で囲まれています。
これは遺構の一つ、東側の土塁の外側です。石垣が残っています。土塁は「東門」につながっています。
土塁が切れているところが「東門跡」、本丸側から眺めました。現在、土塁の上は遊歩道になっていて橋がかけられています。
本丸からの排水は「暗渠」でした。東門の脇に遺蹟として残っています。
本丸全体を眺めました。かつてここには天守台などの建物が建っていました。
本丸の北側に開口する「搦手門(からめてもん)跡」です。大手門が城の表門であるのに対し、搦手門は裏門です。通用門であり、非常時の脱出用の門でした。
門を出て、土塁に沿って左に進むと展望台が設置されています。さらに進むと児童公園の長い長い滑り台、天竜川に向かって滑り降ります。
本丸に戻って、敷地内に残る「枯山水庭園跡」です。山城の本丸の中に庭園を設置することはたいへん珍しいのだそうです。
天守台のあった場所には展望台が設置されていて、南側を眺めることができます。
南東方向です。天竜川、そしてそれを渡る新東名、さらに彼方に東名高速まで見渡せます。
南西方向です。ズームすると浜松市街の高層ビルが見えています。浜松城はこれらのビルのすぐ右側にあったので、鳥羽山城の天守台から徳川家康の本拠地、浜松城を眺めることができました。
現在の鳥羽山公園は市民の憩いの場、春は桜、秋は紅葉の名所です。
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