都田「谷上の六地蔵」
谷上の六地蔵(やがみのろくじぞう)。浜松市の都田町谷上(やがみ)地区、豆腐料理「勘四郎」のすぐ西側にある地蔵堂。江戸時代初期に作られた石仏が6体あり、地元民に崇敬されている。 |
浜松市北部、都田町の谷上(やがみ)地区に古くから祀られている六地蔵をご紹介します。近くには「須倍神社」やとうふ料理で人気の「勘四郎」があるところです。
住宅地の奥の空き地にお堂が立っています。ここは谷上地区の人達から「六地蔵様」として大切にされ、谷上・川北地区が安全なのも六地蔵様のおかげだと思われていました。
1873年、長源寺が火災に合い廃寺となったことから六地蔵は市川家に引き通られて川南地区に移されました。そうしたところ川北地区(都田川の北側)では疫病が流行し始めた。村人たちは「困ったことになった。六地蔵様がいなくなったからだ。六地蔵様にお戻りいただこう。」ということになり、お堂を再建して六地蔵様をお迎えしたところ疫病もピタッと止んだとのことです。現在のお堂は1979年に再建されたものです。
もっとも古いものは左から2番目、「慶安五年(1652)三月二十三日、市川平左衛門造立」と刻まれています。次に古いものは一番左「承応4年(1644年)正月二日造立、市川七郎兵衛」。一番右は「寛文十二年(1672年)、小春五月市川武左衛門」。
他の三体も「造立者 市川武左衛門」と彫られ、都田川の南に屋敷を構える市川家の3代によって安置されました。
六地蔵の祠の直ぐそばには天竜浜名湖鉄道が走っています。踏切はありませんが(「いなか?」ですから)自由に渡れます。
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