「花園天皇陵」

2011年3月28日 撮影
Tomb of Emperor Hanazono, Kyoto - March 28, 2011
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花園天皇陵(はなぞのてんのうりょう)
1308年11月、大覚寺統の後二条天皇の崩御に伴い12歳で即位。1318年2月、大覚寺統の尊治親王(後醍醐天皇)に譲位。1342年1月、仁和寺花園御所を寺に改めて妙心寺を開基。歌道に優れ、京極派の重要なメンバーの一人で、「風雅和歌集」の監修を行った。他にも「花園天皇宸記」と言う日記を残し、読経・念仏を欠かさなかったなど、文人肌で信心深かったと言われている。陵墓は粟田口三条坊町の十楽院上陵。(Wikipediaより抜粋引用)
 ・京都市東山区粟田口三条坊町 map
 ・市バス「知恩院前」下車、東へ徒歩6分
  地下鉄東西線「東山駅」下車、南へ徒歩6分
 ・陵内自由、ただし開門は平日のみ
 ・駐車場なし

青蓮院と知恩院が南北に接しているとずっと思っていました。青蓮院本堂から前庭を眺めると、正面の苔庭の向こうに塀が連なっていますが、「ああ、あの向こうは知恩院なんだな。」と。

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ところが、青蓮院から知恩院に向かって歩いていて、青蓮院の築地を過ぎると、小さな門が開いています。よく見ると「花園天皇陵」、休日は閉ざされていたので気付きませんでした。平日歩いての新たな発見です。

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真っ直ぐ伸びる参道、150mほど。青蓮院の壁伝いに登っていきます。

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御陵の手前に墓守?の事務所がありました。訪れる人もいないこのような御陵に番人はいないだろうなぁ、と思って中を覗くと、ちゃんと座っていらっしゃいました。目が合うと軽く会釈。天皇御陵の全てに万人を雇うなんて、いったいどれだけ経費がかかるんだろう?

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花園天皇の名は嵯峨野の寺巡りで眼に触れることが多いですが、御陵が東山にあるとは思いませんでした。

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参道の塀越しに青蓮院の庭があるのですが、うまい具合に木を配置して、見えないようになっていました。青蓮院側からすれば、知恩院の事務棟などをうまく目隠ししているのでしょう。

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