喜運寺は渋谷街道沿いの小さな寺院です。ただ、門は小松谷正林寺の境内奥にありますので街道からは見えません。右に鐘楼が見えますが、その左が喜運寺の本堂です。
喜運寺の本堂です。
門をくぐって一番奥にある弁天堂について、門前の駒札に、なぜここにあるのか、理由が書かれています。
これ弁天堂です。2003年に完成したもの。なお、ここに祀られている弁天さん(喜運寺)はもともと五条坂にあったのですが1945年、第二次大戦中の強制疎開によってここに移転させられました。以来、仮安置されていましたが、やっとお堂が完成したのです。
第二次大戦中、空襲による火災延焼を防ぐため、京都では空地帯を造りました。それが現在の五条坂です(他に御池通り、堀川通など)。それ以前はたった6mほどの道で、両側に陶器店がびっしり並んでいたそうです。
道路拡幅のため、南側の商店や住居が強制移転させられました。そのため、現在の五条坂は、北側は昔からの陶器店、南側は北側とは違った様相となっています。これが、現在の広い五条通が形作られる経緯です。
「弁天さん(喜運寺)」も移転の対象になりました。元々の場所は現在の「喫茶CAMEL」と「京都府柔道整復師開館」のあいだではないかと推測されます。当時は毎月祭りがあって多くの夜店が出たとの記録があります。宮川町の花街からも芸舞妓さんがお参りに来ていたとか。
なお、ここ喜運寺本堂内では「寺ヨーガ」と称してヨーガとタイマッサージの教室が開かれています。
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