平安京の鎮守社、上御霊神社に再訪しました。門前で名物「からいた」を購入し、せっかくですから参拝です。
この神社は応仁の乱が勃発した場所として有名ですね。鳥居の右側に石碑が立っています。1467年、畠山政長がここに「東陣」を設置しました。畠山義就の「西陣」は現在の西陣あたりです。
楼門をくぐると、参道左側に「芭蕉の句碑」がありました。前回の訪問では気づかなかったもの。なぜここに句碑が? 説明板によれば、元禄3年の年末、松尾芭蕉らは当神社を参拝し年忘れ歌仙を奉納したことによるそうです。俳句忘年会ですね。
拝殿です。
そして本殿。
拝殿には酒樽が奉納されています。中身は誰のお腹に入るのでしょう? 神官だけでは飲みきれません。氏子の皆さんかな?
境内をぐるっと一周してみましょう。本殿右後ろには「福寿稲荷神社」。
ミニ千本鳥居でした。
これは?
本殿の左後ろの「神明神社」。
南門から境内の眺め。
南門です。伏見城の四脚門を移築したものと伝えられています。
南門の左側に「真如堂突抜?」(?は読めない)の石柱があります。現在、吉田山の東側にある真如堂は過去あちこち移転して来ました。かつて真如堂があったところに「真如堂町」(中京区烏丸丸太町の南東)、「真如堂前町」「真如堂突抜町」(京都御苑の北東角、寺町今出川下ル)、「元真如堂町」(京都御苑の西側、新町通)など。さて、ここになぜ「真如堂突抜」の石柱があるのか??
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