同志社大学を創立した「新島襄」の旧邸が寺町通りに面しています。新島襄(1843-1890)とその妻・八重(1845-1932)が暮らした家です。
通りに面しているのは管理棟。旧邸は寺町通から見えません。松の木の後ろに屋根だけ見えています。
新島旧邸は同志社大学が管理する文化財のひとつ。見学料は無料です。管理室で受付をして旧邸に向います。
「応接間」です。広さは18畳ほど。調度品は当時のままだそうです。当時としてはまだ珍しい洋室に椅子が置かれています。
新島襄の妻、八重さんが晩年愛用した足踏みオルガン(YAMAHA 大正13年製)。壊れたまま長年放置してありましたが、同志社で音楽の先生をなさっていた和泉豊治先生が修復されました。現在も修復を続けておられ、お話を伺うことが出来ました。
リードはいくつか交換したが音程が狂ってしまい調律中とか。また足踏みは大変なので掃除機の排気パワーを使って自動送風する仕組みを考案し、別室で製作中の現物も見せていただきました。このオルガンを使った先生によるコンサートもここで定期的に行われます。
「浜松」と書かれていますね。
先生とご一緒に記念写真。
ここは新島襄の「書斎」です。机も新島襄が使ったままです。
2階に上る階段。民芸風の造りになっています。
旧邸はフローリングが中心ですが、和室も作られています。襖の右下の床に見える四角いものはセントラルヒーティングの温風吹き出し口。暖炉の温風をダクトで各部屋に送っているのです。
なお建造当初はすべてフローリングでしたが新島襄がなくなった後、畳敷きに替えられたもの。一階の茶室「寂中庵」も没後に造られたものです。
温風吹き出し口。
夏の陽射しを遮るためバルコニーで囲まれています。
八重さんのために作られた「流し」の設置された台所。当時の日本家屋は土間でしたから床の板張りは珍しい。井戸が屋内にありますね。
ベッドです。手前の八重さん用は低く作られています。
二階の窓から梅の花が満開の庭を見下ろしたところ、右下になにか気になるものが!
ご近所で飼われているニャンコでしょうか? 親子で寄り添い日向ぼっこです。
台所の窓から見えるウメノハナ。新島襄が八重さんのために植えたもの。
資料室にあった八重さんのポートレート。撮影した堀写真館は文久三年頃(1863)、堀与兵衛により寺町通に開業したと伝わっています。
旧邸の全景です。
明治の初頭に御所の横に現れた洋館、当時としては奇異に見えたことでしょうね。
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