第52回「京の冬の旅」非公開文化財特別公開として相国寺の塔頭「林光院」が公開されました。さっそく拝観しましたのでご紹介します。
「林光院」は足利義嗣の菩提所です。しかし、今回の特別公開は西郷隆盛がテーマ、薩摩・島津家のゆかりの寺ということで公開されました。さらに、冊子「京の冬の旅」の表紙を飾るこの襖絵の公開も見どころです。
なお、林光院の公開に際して建物内は庭も含めて写真撮影ということで、ここに掲載する写真は玄関を上る前までのものです。
こちらが玄関です。建物は武家屋敷だそうで、江戸時代、滋賀県の仁正寺藩市橋家の邸を移築したのだとか。靴を脱いで上がり、廊下を真っ直ぐ進むと「虎図」がありました。
どう見てもネコに見えます(冊子「京の冬の旅」の表紙写真を拝借)。拝観に来られた多くの方が「ねこトラ」と呼んでいらっしゃいました。この襖絵は藤井湧泉という画家によって2017年に描かれたばかりのもの。間近で眺めると毛の一本一本が見えるくらいたいへん緻密に描かれていました。トラの向かい側の襖には龍が描かれています。
また写真はありませんが、この寺院を有名にした名木「鶯宿梅(おうしゅくばい)」が内庭にあります。訪問した時点では開花前でした。ここで、この梅の木のいわれについて。平安時代、村上天皇が梅の木を所望され、紀貫之の娘の家の梅が選ばれました。
娘はこのことをたいへん悲しみ「勅なればいともかしこし鶯の宿はととはばいかがこたえん」という句を短冊にしたためて梅の木に釣るして移植されました。天皇はこの句を読んで、この梅を娘のもとに返されたとか。以降、接ぎ木などによって現代まで生き残っているのです。江戸時代の観光ガイドには挿絵とともにこの梅が名木として掲載されています。
さて、ここまで西郷隆盛にちなんだ話は出てきませんでしたが、さいごに林光院と薩摩藩のつながりについて。関が原の戦いに敗れた西軍の薩摩藩・島津義弘は大阪の豪商田辺屋今井道與に逃走を助けられます。このお礼として薩摩藩は田辺屋に薩摩秘伝の薬の調剤方法を伝授しました(のちの田辺製薬)。
これが縁で今井道與の末裔は林光院の住職となり、また、薩摩藩とも深い関わりを持つようになります。明治維新の前後になくなった多くの薩摩藩士は林光院に近い墓地(相国寺の東入口を出てすぐ)に埋葬され、林光院によって供養されています。
こちらは猫虎と龍の襖絵を添えた特別御朱印です。
そしてこちらはおみやげに購入した猫虎がモチーフの鶴屋吉信の饅頭「茶和」です。林光院でのみ特別に販売されたパッケージデザインです。
さらに、京の冬の旅ではスタンプを集めると記念品がもらえますが、今年は猫虎のクリヤフォルダーでした!
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