膏薬図子(こうやくのずし)

2012年4月22日 撮影
KOUYAKU-NO-ZUSHI, Kyoto - April 22, 2012
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膏薬図子(こうやくのずし)。四条通から綾小路通に抜ける狭い路地。新町通と西洞院通の間、新釜座町にある。平安中期、天慶の乱に敗れ討死した平将門の首は京にもたらされさらし首となるが、空也上人はこれを弔うため厨子を作られた場所。空也供養の厨子がなまって「こうやくのずし」になったと言われる。通りには工房が多い。

京の都は碁盤の目のように桝目の区割りがありますが、その内部をアクセスする道路があります。袋小路の道を路地(ろーじ)、通り抜けることが出来るものを図子あるいは辻子(ずし)と呼びます。
「膏薬図子」は名の知られた図子のひとつ。今日は南から北に、綾小路通から四条通に図子を通り抜けたいと思います。出発ポイントは杉本家住宅。

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杉本家住宅の左側、壁沿いの狭い道が膏薬図子です。

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仁丹の住居表示は古いタイプですね。「綾小路通西院東入上ル矢田町」西洞院通から綾小路通に東向きに入って、すぐ北向きに左折したところの矢田町、という意味ですね。

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ほんとに狭い道ですから自転車かバイクしか入れません。右側はずっと杉本家住宅の外壁が続きます。左側は町家が並んでいます。突き当りを右に折れます。

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また向こうに突き当たりが見えます。右側はすべて杉本家住宅です。広いですね。

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突き当りまで進んで、後ろを振り返ったショット。

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突き当りを左に曲がりますと四条通まで見通せます。歩行者の向こうです。なぜこの通りが有名になったかというと、その名前の由来にほかなりません。「こうやく」の語源となったのは「空也供養」の祠があったから。赤い旗が立っている場所で、今は「神田明神」が祀られています。そう、平将門を祀っているのです。

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逆方向のショット。正面の板塀は、杉本家住宅。 

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四条通に近くなったあたりから南向きに撮影。町家が多い。電信柱は無粋ですね。

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四条通の路地への入り口にあった町名表示。「四条通西洞院東入郭巨山町」 膏薬図子の北側入り口は「郭巨山」、南側入り口は「伯牙山」、杉本家がお飾り場になっています。図子の中ほどに住まわれている方はどちらの山に行かれるのでしょうか。

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