清水寺の舞台です。下に見える拝観路は出口に通じる道ですが、「アテルイ・モレの碑」は右に少し進んだところ、左手にあります。
これが「アテルイ・モレの碑」です。平安遷都1200年を記念して1994年に建立されました。発願は「関西アテルイ・モレの会」、関西岩手県人会を中心とした人たち、アテルイとモレの非業の死から1,200年経った年に、清水寺貫主の了解を得て建立したっものです。
全国平定を目指す朝廷は東国を支配する蝦夷に対し幾度となく軍を送ります。最初は蝦夷側が優勢でしたが、坂上田村麻呂を将軍として朝廷軍を送った時、形勢は逆転し、蝦夷の首長アテルイとモレは住民の安寧のため登降します。京都に連れて行かれたアテルイとモレは、坂の上の田村丸による助命嘆願にもかかわらず処刑されてしまいます。この石碑は、郷土を救った勇者を称えるために、岩手県の有志の皆さんによって建立されたのです。
多くの観光客が石碑の前を通り過ぎていきますが、立ちどまる人はありません。「アテルイとモレ」って日本史には出て来ませんからね。知る人なし。なお、2013年、NHK BSプレミアム時代劇「火怨・北の英雄 アテルイ伝」(主演・大沢たかお)が放映されましたが、見逃してしまいました。観たかったなぁ。
最後に、「アテルイ・モレの碑」がなぜ清水寺の境内にあるかというと、坂上田村麻呂は780年、妻の病気平癒のため鹿の生き血を飲ませようと、鹿を求めて音羽山に入ったが、ここで賢心に会い、殺生の罪を説かれて改心し、自宅を本堂として寄進したと伝えられています。また信憑性は定かではありませんがアテルイをはじめとする蝦夷の霊を弔うために坂上田村麻呂は清水寺に帰依したともいわれています。清水寺はアテルイとモレゆかりの寺なのです。
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