下立売通です。ここは平安初期、天皇在所である内裏があった場所。内裏のほぼ南端にあたります。大きさはおよそ南北300m、東西200mでした。
平安京における内裏の位置を説明します。当初の平安京は中央南北に朱雀大路(道幅84m)が通り、その北端に平安宮(大内裏)がありました。南北1400m、東西1200mです。この中に中央政庁である「朝堂院」や天皇の在所である「内裏」がありました。
内裏は周囲を二重の回廊に囲まれていましたが、この遺構は内側の回廊跡です。昭和38年の下水道工事で見つかりました。
回廊の幅は10.5m、ずいぶん幅広です。その基壇西側部分、凝灰岩の羽目石、束石、覆石が発掘されたのです。
新旧、ふたつの説明ボードが設置されています。回廊の構造がよくわかりますね。真ん中に築地があり、内側と外側が通路になっています。ここを衛士(えじ)らが厳重に警護していたそうです。
新しいほうは源氏物語千年紀の際に設置されたもの。
現在地が内裏のどこに位置するのかがよくわかります。(回廊の左下、赤く「現在地」と示されています。)
長保2年(1000年)頃まで清少納言は中宮定子に仕えていました。紫式部は1005年頃から中宮彰子に仕えていました。内裏に同時にいたことはなかったようです。下の写真は昨年、「風俗博物館」で撮影した平安初期の宮中を復元したもの。こんな感じだったのでしょうね。
「タイムスクープ社」(NHK番組)の社員になり、タイムマシンで1000年前のここに来れば宮仕え中だった清少納言や紫式部にインタビューできる! 、、、などと思いを巡らせると気が遠くなりました。
|