近江の国から東山(比叡山)を越えて京の都に入る道は「志賀越道」と呼ばれている。名前の由来は「志賀寺」(崇福寺、中大兄皇子が大津宮に遷都(668年)し,天智天皇として即位した時,都の守護のため建立したとされる。現在は敷石などが残るのみ)への参道だったことによる。写真の右方向は志賀越道、車の通りは今出川通り。
志賀越道を通って今日の都にほど近くなった白川に立つこのお地蔵さんが子安観世音です。
近寄ってみると巨大です。銅の部分は巨石ですね。高さ2m。
豊臣秀吉に気に入られ、聚楽第に移されましたが、夜な夜な「白川に戻せ」とうなり声を上げたため、元の場所に戻されたそうです。
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