「源氏物語」の主人公、光源氏のモデルになったと言われる源融(みなもとのとおる)の墓が清涼寺の境内にありますのでご案内します。清涼寺の本堂から山門を眺めますと右手に見えるのは多宝塔。
源融の墓はこの多宝塔の裏手にあります。
右手に通路がありますので奥に入っていきます。
ありました。源融の墓所です。
墓石として宝篋印塔がひとつ立っています。源融は、平安初期に活躍。嵯峨天皇の十二男です。「六条河原院」(現在の五条通の南側、渉成園のあたりまでの一帯)とよばれる大邸宅を造影したことでも知られています。小倉百人一首には「河原左大臣」として登場。「みちのくの しのぶもぢずり誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに」の句は覚えましたね。
もともと清凉寺のエリアは源融の山荘「棲霞観(せいかかん)」があった場所。死後、子息によって棲霞寺(せいかじ)とされましたが、こちらの本尊は阿弥陀三尊像。これが現在の阿弥陀堂(清涼寺本堂の右側にある建物)です。いまから1200年前の出来事。
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