泉涌寺の山門を入り、坂を下って「仏殿」の右手に「水屋形」がありますが、その左に清少納言の歌碑が立っています。
石橋を渡って、、、
この建物が「水屋形」。そして左に目をやれば、、、
清少納言の歌碑と、供養塔のようなものがあります。まず、単純な疑問として、なぜ泉涌寺の境内に清少納言の歌碑があるのか。
「夜をこめて鳥のそら音ははかるとも、よに逢坂の関はゆるさじ」有名な句ですね。清少納言は一条天皇の時、中宮定子に仕えましたが、1000年、定子が亡くなり宮仕えをやめました。そして晩年は定子の墓「鳥戸野陵」の近く、つまりこの辺り「東山月輪」で余生を送ったそうです。また、この付近には清少納言の父、清原元輔の山荘もあったと言われています。
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