立本寺「島左近の墓」

撮影 2017年4月
Tomb of SHIMA SAKON, Kyoto - April 2017
kyoto-sozoro.jpg

「島左近の墓」(しまさこんのはか)は、はじめ筒井家、次に石田三成に仕えた戦国時代の優れた武将。関が原の戦いで討ち死にしたとも、生き延びたとも言われ、立本寺で僧となって潜伏し32年後になくなったという。その墓は立本寺の墓所の中に残る。
 ・京都市上京区七本松通仁和寺街道上ル107
 ・TEL 075-461-6516
 ・市バス「千本中立売」下車徒歩5分
 ・境内自由

戦国時代の著名な武将「島左近」の墓をご紹介します。立本寺の墓所内にあるのですが少しわかりにくい。立本寺境内とは通りを隔てて西側にあります。立本寺の本堂を正面に見て左に進んでいきます。すると立本寺の境内を囲む塀の西側に出ることが出来ます。南北の狭い道で寺院が途切れなく続く一方通行の小路です。立本寺の墓所の入り口が正面に見えます。(位置は下記のGoogle地図を参照)

shima_sakon11.jpg

こちらが墓所への入り口。門の左には道標「島関ヶ原大軍師 島左近之墓」が立っているのですぐにわかります。

shima_sakon11.jpg

お寺の墓所は檀家以外、特に観光客が入るのを嫌うところが多いのですが、こちらは門を開放し、しかも道標まで立っているのですから参拝謝絶ではないですね。

shima_sakon11.jpg

では墓所に入ってみましょう。なお、墓所内にお墓参りに来られている檀家さんの邪魔にならないよう、静かに行動します。立本寺は長い歴史を持つ寺院ですので、このような古いお墓がズラッと並んでいます。大きなものは歴史上の人物であることが多いのですが、うろうろせず島左近の墓を目指して真っすぐ進みます。

shima_sakon11.jpg

島左近の墓は門を入って左奥に進んだところ、比較的分かりやすい位置にありました。墓所を囲む石材は新しいので最近改築されたのでしょうか。

shima_sakon11.jpg

墓石は古いですね。「妙法院殿島左近源友之大神儀」と刻まれています。その下には「土葬」とも書かれています。実のところ島左近の最後については諸説あって、関が原の戦いで討ち死にしたという説(遺体は見つかっていない)、ここ立本寺で僧となり32年後に亡くなったという説(過去帳も残っているそうです)、広島に落ち延びた説、熊本の西岸寺に隠棲した説、など諸説あって、本当のことはわかっていないのです。

shima_sakon11.jpg


Ads by Google


関連コンテンツ


Copyright (C) 2017 ZauCats, All Rights Reserved.

back-to-top.jpg
トップへ