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京都のモニュメント
「鳥辺野稜・藤原定子の墓」撮影 2014年11月28日
Fujiwara Teishi's mausoleum, Kyoto - November 28, 2014
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「鳥辺野稜」(とりべのみささぎ)は藤原定子の墓。藤原定子(ふじわらていし)(977-1001)は、平安時代、一条天皇の皇后。清少納言が仕えた。
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一条天皇の皇后、藤原定子は「枕草子」を書いた清少納言が仕えたことで知られています。東山の山中にあるお墓「鳥辺野稜」を参拝しました。写真は、東大路と今熊野観音寺(泉涌寺)を結ぶ裏道、車1台通るのがやっとの道です。この道の途中に鳥辺野稜への参道入口があります。
この石柱が目印です。最初は石段。どこまで続くのかわからない不安感もありましたが、せっかく来たのですから頂上(?)を目指します。
振り返ってみると、登り口はこんな感じ。
途中から石畳の道に変わり、傾斜が緩やかになりました。管理人室も見え、山頂はもうすぐです。
みささぎが見えてきました。宮内庁管理の陵墓はみな形が同じなので、陵墓そのものに感動はありませんが、そこの埋葬されている歴史的人物に思いを馳せるためにやってきたのです。登り口からここまで5分かかりませんでした。
鳥辺野は平安時代から京の都の風葬地の一つでした。ではなぜこんな寂しい土地の真ん中に陵墓を作ったか。それは、中宮定子自身の生前からの希望であったようです。亡くなったあと、清少納言は使える主を失い、近くの泉涌寺あたりの山荘で、定子の陵墓を拝みながら晩年を過ごしたそうです。
この御陵には定子以外に6名が合葬されています。醍醐天皇皇后穏子、円融天皇女御尊称皇太后詮子、後朱雀天皇皇后禎子内親王、後冷泉天皇皇后歡子、白河天皇皇后賢子、堀河天皇女御贈皇太后苡子、と書かれています。
参道も御陵も鬱蒼とした林の中ですは、帰路、石畳の道から遠く京都タワーを見ることが出来ました。現在のように木が生い茂る前は京都全体が見渡せたのでしょうね。
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