白山神社は京都市役所から西へ200mほど、麩屋町通御池通上ルの小さな神社です。
白山神社にまつわる2つの話が伝わっています。1つは創建に関する話。平家が支配していた平安末期のこと、藤原師高は加賀の国司を命ぜられますが、傍若無人な振る舞い。またその弟の藤原師経も同様、白山の末寺・鵜川涌泉寺への乱入などから白山との対立が始まります。
白山側は僧兵2000名を集め、白山神輿をかついで比叡山延暦寺に訴えました。比叡山から朝廷に訴えたのですが、なかなか聞き入れてもらえず、業を煮やした衆徒や僧兵は三基の神輿とともに御所に押し入ろうとしますが源平の兵により退けられ、ひとつの神輿を置いて比叡山に逃げ帰ります。残された神輿はそのまま祀られ白山神社になったということです。
もう一つの話は、江戸時代中期、歯痛に悩んでいた後桜町天皇に関するもの。女官が白山神社から持ち帰った神橋で神塩を歯に付けたところ治癒したとのこと。それ以来、箸、箸置き、塩をセットにした「長寿箸」は白山神社の著名な授与品になりました。無病息災を祈願して赤ん坊の食べ初めの長寿箸を用います。
猿田彦大神、白菊大神、天満宮がそれぞれ境内末社として祀られています。
かつては広大な境内だったとのことですが、今はひっそりとした小さな神社です。
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