幕末の土佐藩ゆかりの神社、岬神社、通称「土佐稲荷」をご紹介します。場所は少しわかりにくいかもしれません。河原町通からだと蛸薬師通を東に入ります。小さな神社です。
正式名称は岬神社、室町時代の創建です。最初は鴨川の中洲の岬にあったので岬神社、その後数回遷座し江戸時代に入って土佐藩の京屋敷内に移りました。そこで土佐稲荷と呼ばれるようになったのです。
土佐藩士のみならず先斗町や木屋町かいわいの人たちから熱い信仰を集めていたそうです。
明治になって土佐藩そのものがなくなったため神社もあちこち移転しましたが、1913年、近隣の人達によって現在地に祀られました。
土佐藩邸の中にあったとすれば当然、坂本龍馬も参拝したはず。で、龍馬ゆかりの神社として龍馬の銅像が建っています。
社務所には龍馬の写真が掲示されています。
鳥居の下には狛狐。祭神の倉稲魂神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)とも書き、別称は「稲荷神」すなわち「お稲荷さん」です。もとは穀物の神様ですが、現在では商工業の繁栄にご利益のある神様ですね。
京都市内には約800の神社があるといわれていますが、そのなかでも岬神社は街なかにありながらほとんど知られていません。しかし、どんなに小さくても歴史上の人物あるいは史実にどこかでつながっている、というのは京都の神社の(寺院も)面白いところです。
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