新京極の商店街に一間ほどの間口で、注意しないと通り過ぎてしまう小さなお寺です。
2009年12月31日 訪問
奥に見える中玄関を入って左手に仮本堂があります。本堂は罹災と再建を繰り返してきましたが明治44年の火災以降は現在の建物です。「通称寺の会」に所属する寺院ですので、それを示す赤い旗が通路を埋めていますね。
大晦日の訪問でした。翌日から寅年ですので、「寅」にちなんで多くの参拝客があるかと予想していましたが、どうやらこちらにはほとんど参拝がないようです。呼び鈴を押して御朱印をお願いしたところ、「どうぞお上がり下さい。」と、本堂(座敷本堂とか呼んでいらっしゃいました)に招かれ、西光寺や寅薬師の由来を奥様が詳しく説明してくださいました。
2015年10月17日 訪問
寅薬師さんに再訪しました。この紹介ページの内容に記載ミスがあり、その内容訂正依頼があったのですが、対応を済ませ、せっかくのご縁ですので、ご挨拶に訪問させていただきました。
ご住職様と、現在誓願寺にお勤めの副住職様にはご丁寧に対応いただき、更に詳しいお話も伺うことが出来ました。ところで、こちらのご本尊は「寅薬師」ですが、もう一つ、上の写真左の赤い提灯にある「腹帯地蔵」、こちらは安産祈願です。江戸時代まで寅薬師の向かいにあった「清帯寺」のご本尊の胎内仏だったものです。
写真は18世紀後半の寺町界隈を記録した「都名所図絵」ですが、寅薬師と清帯寺が描かれています。西光寺は浄土宗、奥様のお話によれば、先代のご住職(お父様)は最近100歳に近い高齢でなくなられたとか。あと少しで「法然上人800年大遠忌」(平成23年)の参列できたのに、と残念がっておられました。
現在、寅薬師の本堂の正面には御本尊の阿弥陀如来、部屋の左面には寅薬師と十二神将、そして本尊の右側には清帯寺から預かった腹帯地蔵が祀られています。写真は「京童」に描かれたかつての腹帯地蔵ですが、これは既に焼けてしまい、小さな胎内仏が現在あるものです。
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