以前は西陣に広大な伽藍を構え、のち、岩倉の地に移転した大超寺を訪問しました。
広い階段を登ると山門です。元々の山門を移築したように見受けられます。ちょうどお彼岸に重なったためお墓参りの檀家さんが大勢いらっしゃってました。
正面が本堂です。大超寺はもともと千本一条、浄福寺の西隣にあり、かなりの規模だったといいます。
千本一条の境内には大きなイチョウの木があって、千本通からも望むことが出来て有名でした。(頂いた由緒書きに当時の巨大なイチョウの木の写真が掲載されていました。)浄福寺のご住職から聞いた面白いお話。かつて、浄福寺にもイチョウの木があって毎年多くの銀杏が採れました。
イチョウにはオス・メスがあり、近くに両方の木がそろっていないと結実しません。大超寺の小僧が浄福寺の小僧に対し「うちのイチョウのおかげで銀杏が出来るのだから半分よこせ」と要求したところ、浄福寺の小僧は「いや、うちの銀杏は慧光寺のイチョウによって出来たのだから、その必要はない。」と断りました。慧光寺は浄福寺の東隣にあり、ここにも現在でも大きなイチョウがあります。
大超寺が洛北に引っ越してしまってからは、銀杏はできなくなってしまった、というオチです。浄福寺のイチョウは現在、主株は枯れています。
境内の片隅にあった石仏三尊。いつの時代のものか。
いただいた由緒書き。本堂内は写真撮影を遠慮したため、仏像はこちらでご覧ください。左は「阿弥陀如来像」、鎌倉時代の作。本堂の左脇陣にお祀りされています。
中央のモノクロ写真が「鍬形薬師」、田んぼの中に埋まっていたといい、掘り出すときのクワの傷跡が背面にあるのでこの名前が付いたといいます。本堂の左脇陣にお祀りされています。京都十二薬師霊場会第8番札所です。
右は「善光寺如来像」、善光寺のご本尊の模刻像です。江戸時代に善光寺より下賜されたと伝わっています。
カード型のお守りを購入、財布に入れてもかさばらずに便利とのこと。
本堂および書院の背後は山が立ち上がっています。数日前の雨台風で桂川流域や京都市内は大変な被害に見舞われましたが、こちらでも山から大変な量の水が流れてきたそうです。
大超寺は高台にあるので、山門からは岩倉全体を見渡すことができます。引っ越してきた当時は周囲に何もなかったのですが、現在ではご覧のとおり、住宅でびっしり埋まっています。引っ越し当時は、このようになるなどまったく予想していなかったことでしょう。
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