真如堂の北、萩の寺・迎称寺と極楽寺の間、大興寺は情報のない寺院です。何年か前に建物はなくなってしまい、残るのは空き地のみ。山門は残りましたが、山門を通して向こうに見えるのはアパート。どうしてなくなってしまったのかは不明です。大興寺についての由緒も全くわかりません。
門前に残る「しばのやくし」と「松本愚山(江戸時代中期-後期の儒学者)の墓」。
こういう時に役に立つのは江戸時代の観光ガイド「拾遺都名所図会」と「花洛名勝図会」。以下のような説明が書かれていました。あくまでも江戸時代当時のことですが。
「霊芝山大興寺と称し最初は大宮五辻にあった。もと天台宗、今は禅寺。本尊は瑠璃光佛、運慶の作。当寺は後鳥羽院の建立にして勅願所となった。比叡山は女人禁制であるため、根本中堂に祀られている薬師仏に似せて作らせ、三の宮のために禁裏の西に仏殿法堂などを建立。蜀の関羽像あり。」
「後鳥羽院の寄付による仏舎利あり。什宝として芝薬師尊があった。その後京極今出川の南に移転、元禄五年に焼失後、現在地に移る。」とあります。境内には材木屋石材など、廃材がそこかしこの置かれていました。
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