JR京都駅を北側(烏丸口)に出て、すぐ東側に進みます。第二タワーホテルの前を上がると右に入る小道があります。これを少し進めば輪形地蔵が現れます。
地蔵堂にしては立派な建物。実は「正行院」(しょうぎょういん、通称 猿寺)という寺院の建物の一部なのです。江戸時代まではここを通る「竹田街道」は京と大坂を結ぶ物流の幹線道路、日々、牛車が行き交いました。
道路には牛車を引きやすいようにと、車石(くるまいし)が敷かれました。当時は当然のことながら舗装技術はありませんが、主要街道には、ぬかるまずに牛車を引きやすいようにと溝を掘った石が敷かれていました。溝の部分が「輪形」です。地蔵堂の左に実物がひとつ置かれています。かなり深く削られていますね。
「花洛名勝図会」(京都市歴史資料館蔵)の写真を引用しました。幕末、1864年の当時の往来の様子がわかりますね。俵を山積みした牛車、車輪は人の背丈よりも大きい。牛車はレールのような石の上を通行します。人馬と牛車の通行帯もこれによって歩車分離され通行の安全も確保されました。
それではお堂の中を覗いて、どんなお地蔵さんが祀られているのか見てみましょう。
中央の厨子にお地蔵さん、両脇にはたくさんの脇仏が祀られています。
やさしいお顔ですね。往時は参拝者によって撫でられたためでしょうか、かなり黒ずみが見られますね。
なお輪形のある車石は東海道(三条から大津区間)、竹田街道、鳥羽街道に敷設されましたが、その遺構ともいえる石は現在もいろいろなところで再利用され、大津市内の旧東海道を歩くと簡単に見つかるそうです。
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