妙心寺塔頭「壽聖院」桜、ライトアップ2013年3月31日 撮影
JUSHO-IN in Myoshinji, Kyoto - March 31, 2013 | |
壽聖院(じゅしょういん、寿聖院)、妙心寺の塔頭の一つ。1599年、石田三成が父石田正継の菩提所として創建したと伝わる。三成は関が原の戦いに敗れたあと、長男の石田重家は寿聖院に入って出家することで家康から助命された。寿聖院三代目住職となる。境内には石田家一読の墓がある。三成の墓には遺髪が納められている。 |
「おすすめ京都体験」が主催の「壽聖院・退蔵院2寺院特別拝観(精進料理付き)、春風の夕宴」に参加しました。
先に退蔵院の枝垂桜を観たあと、参加者全員で石田三成よかりの寺院・壽聖院へ移動しましました。定員40名でしたが平日のため13名の参加、比較的ゆったりと鑑賞出来ます。
最初に若いお坊さんから石田家のお墓を案内して頂きました。
ずらっと並んでいる9つの中央が石田三成の墓。ここには遺髪が納められているのだそうです。
向かい合わせに大きくて立派な墓がありますがこれらは石田家のものではありません。
本堂に上がって庭を眺めました。まだ黄昏のあかり。
庭の中央背後にはソメイヨシノが満開です。
庭を眺めながら精進料理をいただく、というプランだったのですが、ここでトラブル発覚。参加人数分の料理がありません。13名参加して5名分しか用意してありませんでした。主催者の手配ミスです。すぐに連絡し、急いで作らせているようですが、すぐに出来るわけはありません。
さらに前日からの寒波のため大変寒く、暖房を入れるため庭の障子も閉めました。
ここから時間つなぎのためのご住職によるお話が始まります。料理が届くまで1時間弱、色んな話をお聞きすることが出来ました。
ここはしばらく無住の状態で荒れ果て、住職を探していたのですが、退蔵院の住職の次男坊さんがこちらに入られたのが昨年。最初にお墓で説明してくださった若いお坊さんがご住職(松山侑弘さん)でした。
壽聖院は当初、現在の4倍の規模であったが、関ヶ原の戦いで敗戦後、壽聖院は解体、その後、長男である重家が出家することで壽聖院は4分の1の規模で再興。妙心寺の北門は当初の壽聖院の山門だったこと、、などなど。
東京の学生時代の話(キリスト教系の大学だったとか)、きびしい修行中の話(睡眠時間がほとんど取れない)、この壽聖院に入るに至った経緯(次男坊は地方の無住の寺院に養子に入るしかないところ、運良く妙心寺内に無住の塔頭があった)、などなど。
左から正継(父)、宗享禅師(長男)、石田三成、瑞岳院(母)の肖像画です。これらはレプリカ(ですから写真撮影できました)、本物は博物館に保存されています。
食事の開始が遅れたことで予定時間を大幅に過ぎてしまい、帰りの新幹線に乗り遅れないため、他の皆さんよりも一足早く壽聖院をあとにしました。
庭のソメイヨシノは門の外からも眺めることが出来ました。通常非公開の塔頭寺院ですがこのような形で拝観できたことは大変ラッキーでした。
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