井伊谷「二宮神社と但馬社」
二宮神社(にのみやじんじゃ)、901年ごろ井伊郷に着任した荘司三宅氏が始祖「多道間守命」を祀った三宅神社を創建。のち、井伊にゆかりの宗良親王を合祀し、二柱を祀るため二宮神社と改称した。 |
浜松市北区井伊谷の古い神社「二宮神社」をご紹介します。信州街道を奥山に向かう「井伊谷交差点」を通り過ぎて500m進んだところの左側に鳥居が現れます。これが一の鳥居です。ここを入って200mほど参道(?)を登っていけば、、、こちらの写真の二の鳥居が現れます。車で来た場合は右に進めば数台駐車可能な境内の駐車場があります。
急な石段を登ると「天神社」の小さな祠があります。
さて本殿に向かうには、左に進んで大きな御神木の脇の緩やかな山道の登るか(写真)、右に進んで駐車スペースから急な階段を登るか、どちらも可能ですが、前者は足腰の弱い方向け、後者は正規の参拝ルートです。
こちらが本殿です。瓦屋根葺きで、拝殿もなくシンプルな形式です。
平安中期の901年、奈良から井伊谷の荘司として赴任した三宅好用が始祖の「多道間守命」を祀ったのが始まりです。最初は三宅神社と呼ばれていました。その後、南北朝の争いの時代になって、南朝の宗良親王が井伊谷を拠点とし没しますが、この時、宗良親王も祭神として加え祭神が2柱となって「二宮神社」と改名します。
当初の本殿は井伊直虎の父、井伊直盛(大河ドラマでは杉本哲太さんが演じましたね)が1560年頃再建しました。さらに1573年に三方ヶ原の戦いによって武田軍により焼き払われましたが、1647年に再々建。その後、拝殿や神楽殿も作られましたが1958年の火災で全て焼け、現在の本殿は1965年のものです。狛犬も比較的新しいもののようです。
本殿にお参りしたあと、上を見上げると立派な彫り物です。
鳳凰や龍などが彫られていますが由緒はわかりませんでした。
ところで本殿の右にある天王社に小野但馬守政次(大河ドラマでは高橋一生さんが熱演しましたね)が祀られていることはあまり知られていません。どちらかといえば徳川にはむかい1568年に近くの河原で処刑された小野但馬のことを話題にすることは後世井伊谷でははばかられてきたようで(特に井伊谷小野村では)これまであまり紹介されませんでした。
ところがNHK大河ドラマでは井伊家に対して好意的に描かれたため一躍注目されることになったのです。そのため小野但馬の供養塔もGoogleMapに掲載されたり、ネット上に関連記事も多くなっていますね。(供養塔は二宮神社から歩いて3分のところにあります。また井伊氏の居城「井伊谷城跡」は裏山を登って10分ほど。素晴らしい眺めです。)
但馬守が処刑されたあと、地元民はたたりを恐れて霊を鎮めるため供養塔を造ったり、こちらに社を作りました。これが「但馬社」です。その後、但馬社は火災で焼失してしまったため天王社に合祀されました。
但馬社をはじめとして、二宮神社には多くの末社があったようですが、火災で皆焼けてしまったので、末社の5社をまとめて天王社に合祀し再建されたそうです。
二宮神社は由緒ある式内社ですが、大河ドラマでもなければ参拝する人もなかったであろう小さな神社です。なお、毎年8月には例大祭があり地元の人達によって盛大に祭られます。「浦安の舞」が舞われ、神輿や御殿屋台が繰り出し、そして夜は花火大会などがあるそうです(境内の掲示板から)。
境内で見つけた「(鬼の子供の)足跡石」、由緒はよくわかりませんが、親が子供を石のうえに乗せ、「鬼の子供のように強くなれ」と祈るのだそうです。
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