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京都のモニュメント
「源融 河原院址の石碑」撮影 2014年10月
Minamoto Tooru Kawara-in-ato, Kyoto - October 2014
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「源融 河原院跡(みなもとのとおる かわらいんあと)」の石碑は、五条大橋の西詰め南側、高瀬川の東側道路脇に立つ。平安初期、源氏物語のモデルと言われる源融の邸宅があり源氏絵巻が繰り広げられたという。
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時は平安初期、嵯峨天皇の皇子、源融(822-895)は、現在の五条通と正面通、鴨川と柳馬場通に囲まれた広大なエリアに「河原院」と称する邸宅を建造しました。その地を示す石碑をご紹介します。碑が立っている場所は、五条大橋の西詰め。高瀬川に沿った木屋町通を南に向かいます。
すぐに「エフィッシュ efish」という、通に知られたカフェが3階建ビルの1階にありますが、この前を通り過ぎます。
エフィッシュの目と鼻の先に大きな榎(エノキ)、その根元に石碑は立っています。
石碑には「此附近 源融河原院址」と刻まれています。大正時代(1915年)に建てられたもの。左に見える鳥居は、この榎の巨木を祀った神社「榎大明神」です。
京都市による駒札も建てられ、この地の由来が説明されています。
源融は源氏物語の主人公「光源氏」のモデルと言われています。「河原院」を4分の1のサイズで再現した模型が、西本願寺前の「京都・風俗博物館」に展示してあって、この写真はその様子。まさに源氏絵巻がジオラマ風に再現されています。詳しくはこちら「風俗博物館 Costume Museum」を御覧ください。
なお邸宅内には陸奥の塩釜の景色を模した庭が造られていたそうですが、現在の上徳寺(世継地蔵で有名)がある場所にあたります。住所は「京都市下京区本塩竈町」、なんと千年以上経った現在までその名残を残しているんですね。
さらに驚くべきことが! 上徳寺の門柱に表札がかかっていますが、その名前を見ると「塩竈(しおがま)」さん。千年以上の歴史を刻んだ苗字でした!。
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