剱岳(つるぎだけ)、標高2,999m、北アルプスの立山連峰に位置する。山塊すべてが険しい岩稜と雪渓からなり、日本アルプスにおいては峻険な山の一つ。「岩と雪の殿堂」とも呼ばれる。日本百名山に選定。 |
行程
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平蔵谷から剱岳へ 写真集 その3
人生で2度目の剱岳登頂を目指した、これはその登山記です。初回(3年前)は前剱経由の一般ルートで登りましたが、同じ行程は芸がない。今回は平蔵谷雪渓を経由して山頂を目指しました。ピッケルとアイゼンを用いたはじめての雪渓登山への挑戦です。第一日目は剣山荘まで。第二日目に平蔵谷を登り、下山後、剣御前小屋も宿泊。第三日目は別山から大汝山、雄山を経由し、一の越からタンボ平に降り、黒部湖に下りるという、夜行2泊3日コースです。
<剣御前小屋から雄山へ>
劔登山の三日目、今日は雄山経由で下山します。前日の疲れから剣御前小屋ではぐっすり。朝、目覚めるとガスの中でした。薄っすらと室堂が見えました。
小屋を出発してからずっとガスの中です。したがって写真はほとんどありません。また、後にも先にも歩くひとはまったくありません。ここは別山と真砂岳との鞍部(標高2750m)です。
富士ノ折立付近でセルフタイマーにより記念撮影。
黒部側の雪渓を見下ろしました。
大汝山でセルフタイマーにより記念撮影。
大汝山付近の奇岩。
大汝山付近から東に広がる「御前谷カール」の御前沢雪渓を見下ろしました。尾根のうしろに黒部湖も見えています。稜線上の右端のピークは「雷電岳」(2,681m)。(2012年、御前沢雪渓は氷河であることが学術的に判明し、日本初の氷河として認定されました。)
ガスの中に雄山神社の祠が見えた!
<雄山から一の越へ下る>
雄山神社にて。
参拝を終えると急にガスが晴れてきた!
室堂も見えてきました。
「一の越」へ下山を開始します。鞍部には「一の越山荘」があり、ここから99.9%以上の登山者は室堂に向かって降りていきます。私のように反対側へ降りる登山者は皆無でしょうね。
さらにガスが晴れて、一の越の東側に広がる御山谷がはっきり見えました。右端の青い屋根は「一の越山荘」です。ここから左に向かうのが一般的でない黒部湖に降りる御山谷コースです。
下り始めたところで、さらにガスが晴れてきました。室堂から大日岳まで見えてきました。
一の越山荘が間近に見えてきました。
<一の越から黒部湖へ>
一ノ越山荘で小休止ののち、黒部湖に向かって下山します。
御山谷です。「東一ノ越」までは3年前にも歩いたルートです。谷の南向き斜面をトラバースします。ほぼ等高線に沿った水平道ですが斜面そのものは40度ほどありそう。積雪期にBCで歩くには厳しそうですね。
少し下ったところで振り返って、一ノ越の左側を眺めます。浄土山。
こちらは龍王岳(右)と鬼岳(左)。
「東一ノ越」からの眺め。「大観峰駅」に至るトラバースルート、そして「雷殿駅」(コンクリートのトンネル出口)、「大観峰駅」(白い巨大な駅舎)が見えていますね。3年前にこのルートを歩きました。「雷殿駅」は大観峰と室堂をつなぐ立山トンネルトロリーバスのトンネル内の途中駅です。
(2020年 追記:「雷殿駅」(らいでんえき)は登山客やタンボ沢下りのスキー客が利用していましたが、1998年、登山道が崩落によって通行止めになり、その後廃道になったため 2013年をもって駅は廃止されました。)
左端に白い「大観峰駅」が、右端に黒部湖(黒部ダム湖)が見えます。下部の平らに広がるところが「タンボ平」、そして、これから向かう黒部ケーブルカーの「黒部平駅」はかろうじて見えています。なお、タンボ平の下りは樹林帯の道。歩く人はほとんどなくて倒木も多く、少し荒れていました。しかし迷うような道ではありませんでした。なお、黒部平駅に到着するまでのあいだ登山者には誰一人会いませんでした。途中の写真は残念ながら一枚もありません。
ケーブルカーで黒部湖に到着。今回の歩行行程はこれで終了です。なお、黒部平から黒部湖へ歩いて降りるコースもありますが、ダムからかなり離れたところに降りてしまいタイムロスが大きいのでケーブルカーを利用しました。
<制作後記>
この登山記を制作したのは2020年5月、実際に登ってからなんと38年経過しています。当時はもちろんアナログカメラの全盛時代、手元に残るのはネガフィルム、スライド投影用のポジ、そして印画写真の3種類。保管状態が悪かったためかすべて黄色く変色していました。
変色が全体に一様でしたら画像編集ソフトを用いて色の復元ができるのですが、残念ながらネガフィルムは一部分のみが変色しており復元できませんでした。ここに掲載した写真はポジ及び印画写真を復元したものです。いずれもアナログ写真ですのでデジカメ写真のように鮮明ではないことをご容赦ください。
今回の平蔵谷雪渓登山で用いたピッケルは「Charlet-Moser MONT-BLANC」というフランスのアルプスのふもと、シャモニーにおいて、シャルレという鍛冶職人とモゼールという木工職人が共同で製作されました。製作年代は不明ですが1982年に購入しました。このMONT-BLANC後期型は永らくウッドシャフトを維持し続けた製品、今やビンテージ扱いですね。
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