有栖川宮旧邸は烏丸通、地下鉄「丸太町駅」から3分ほど上がったところです。いつも京都御所の一般公開に合わせてこちらも公開されます。この門はもと三井一族の総長三井高保氏が1912年、邸宅の表門として建造したもの。その後裁判所が購入し、この地に移築しました。「青天門」とよばれています。
この建物は、建礼門前にあった有栖川宮邸の一部。こちらに移築されたのだそうです。家の主が東京に移転した後のことです。ここは現在「有栖館」とよばれ、平安女学院の茶道や華道の授業、あるいは市民講座の場所として使われています。その前は、京都裁判所長宿舎として2007年まで使われていました。
書院造の建物、客間棟です。
ここには能舞台(この板の間)があります。音がよく響くように床下には大きなカメが置いてあるそうな。水琴窟の原理ですね。
客間に面している庭は十一代目小川治兵衛の手によるもの。2009年の作庭です。
玄関棟、住居棟、客間棟に囲まれた中庭です。
幕末の京都御苑の地図です。有栖川宮邸は御所の南側にありますが、それ以前は御所の北東角の付近にありました。公家屋敷がずらっと並ぶ中、四親王家のひとつですので広い面積を占めていますね。
在りし日の有栖川宮のお写真。大正12年に宮家は後継ぎがなくなり断絶しています。
日本で初めてセーラー服を導入したのが平安女学院、1920年のことです。その時のセーラー服は一番右側。
大きな枝垂桜は醍醐寺三宝院にあった実生の桜を移植したもの。秀吉が「醍醐の宴」でめでた桜の孫にあたるそうです。開花すると烏丸通の歩道上も飾ります。
門の扉は杉の一枚板、今じゃ手に入らないものだそうです。
南側に回って、長屋門です。左右に居住できる部屋と納屋を備えています。
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