吉田神社の境内にある末社の1つ、お菓子の神様。菓祖神社です。吉田神社からは大元宮に向う坂を登り始めて、すぐ左に参道が開いています。写真、左の赤い鳥居がそれです。
菓祖神社へはなだらかな石段を登って行きます。
薬祖神社です。
石柱一つ一つは京都のお菓子やさんが寄進したもの。
菓祖神社の祭神のひとり「田道間守(たぢまもり、たじまもり)」については、ある伝説があります。むかしむかし、垂仁天皇の頃(B.C.60年頃)天皇が不老不死の霊菓、非時香菓(ときじのかぐのみ)を探してくるよう命じた。
そこで田道間守は大陸に渡って「非時香菓」を探し、ついに見つけて10年後に持ち帰った時、垂仁天皇は既になくなっていた。非時香菓はその後「田道間花」と呼ばれ、「たちばな」と読み替え、「橘」と書くようになった、とのこと。
古代の菓子は果物であったともいわれ、田道間守が持ち帰った橘(みかん)もお菓子のルーツです。その伝説の田道間守が祭神として祀られているのです。
もともと田道間守が祀られた神社は但馬国(たじまのくに)(現兵庫県豊岡市)の中嶋神社であり、菓祖神社はここから分霊されたものです。
Ads by Google
|
「吉田神社」 写真集