●2017.9/29  京都観光「フォーエバー現代美術館」

祇園花見小路にオープンした「フォーエバー現代美術館」をご紹介します。

場所はなんと「祇園甲部歌舞練場」の中、「八坂倶楽部」の建物を利用しています。歌舞練場に隣接したこの建物、もちろん純和風です。その中に現代美術館がどのような形で組み込まれたのでしょうか。

「フォーエバー現代美術館」はもともと秋田県にあった美術館で、収集家・穂積恒氏のコレクションを展示する美術館ですが、何らかの理由で京都にやってきました。

伝統芸能のメッカ「祇園歌舞練場」と現代美術のマッチングの議論はともかく、人気の草間彌生氏の作品に接することができる美術館のオープンは祝福しましょう。

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敷地に入って正面に草間彌生氏の代表作「南瓜」(2007年)が展示され目を引きます。左は「ギオンコーナー」、右は芸舞妓さんたちの練習場およびステージのある歌舞練場です。

「フォーエバー現代美術館」のオープニング企画展として「草間彌生 My Soul Forever」が開催されています。建物内は和式ですから玄関で靴を脱いで上がります。すぐ左手にコインロッカールーム(お金は戻ってきます)がありますので、荷物や履物は預けました。身軽に見学開始です。

詳しくは以下のリンクをご覧ください。

・[1248] 絶景かなドットコム 京都観光「東山区」コーナーに 京都観光「フォーエバー現代美術館」 を追加しました。



●2017.9/27  京都観光、萬福寺塔頭「宝蔵院」

萬福寺は、京都でも有数の巨大寺院。隠元大師の創建による黄檗山萬福寺の境内には19の塔頭がありますが、その一つ「宝蔵院」には一切経の版木が所蔵されており、収蔵庫において常時公開されています。

JR奈良線「黄檗駅」あるいは京阪「黄檗駅」から萬福寺の総門に向かい、門前を左に進んで行ったところが宝蔵院です。

玄関で収蔵庫の見学を申し込みます。今日はお彼岸の休日で参拝者が多いなか、ご住職さんが応対してくださいました。

中央通路の両側には収蔵棚がズラリ。6万枚の版木を管理するための番号が振られています。うち約5万枚が重要文化財です。

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一切経の版木は鉄眼(てつげん)禅師によって13年がかりの1678年に完成しました。

以降、宝蔵院は萬福寺の境内における藏板・印刷所となりました。すべて吉野桜が使用されています。一切経は全6,956巻あり、各宗派で使用されているお経はすべて含まれているそうです。

詳しくは以下のリンクをご覧ください。

・[1247] 絶景かなドットコム 京都観光「宇治」コーナーに 京都観光、萬福寺塔頭「宝蔵院」 を追加しました。



●2017.9/23  京都観光「金泉寺の石仏」

京都の街を歩いていると「あれっ」というものにしばしば出会います。帰宅して詳しく調べてみると、それが500年前、1,000年前に作られたものだった、ということも。さすが京都、1200年の都です。ここでご紹介するものもそのひとつ。北野天満宮の南に広がる寺町を散策中、ふと目に止まった石仏のお寺をご紹介します。

北野天満宮から中立売通を下がったあたりは寺院の密集地。一条通から南の仁和小学校にむかう細い路地(下の森通)の途中に金泉寺があります。右に西正寺、左に妙栄寺、三軒の小寺院が並んでいる真ん中が金泉寺です。

開放された門の柵越しに目が合った阿弥陀仏さん。なんと、門の真正面にどーーんとおわします。否が応でも目にとまりますね。通行人をじっと見つめているようでもあります。

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金泉寺については西山浄土宗である以外、由緒などはわかりません。

このタイプの石仏は鎌倉時代に多く制作されました。これもその一つでしょうか。台座には念仏講中と刻まれています。2段目の蓮台は江戸時代・元録の銘が刻まれていた、と某ブログに書かれていました。

今日もじっと路地を行き交う人を眺めている阿弥陀佛。

詳しくは以下のリンクをご覧ください。

・[1246] 絶景かなドットコム 京都観光「上京区」コーナーに 京都観光「金泉寺の石仏」 を追加しました。



●2017.9/21  遠州東海、都田の「須倍神社」

浜松市北部、都田町の由緒ある神社「須倍神社」をご紹介します。

「須部」といえば浜松市民にはおなじみの美味しい豆腐の「須部商店」と同じ名前ですが、ルーツは同じなんです。

場所は、その須部商店が経営する豆腐料理のお店「勘四郎」の北西200mほどのところ。須部の豆腐は知らなくても「勘四郎」は市外県外の方でもご存じの方は多いようです。今すごい人気ですからね。

さて、須倍神社は国道362号線を北に入るとすぐに神明様式の石の鳥居が建っています。神明鳥居とは下側の横棒の両端が飛び出ておらず、伊勢神宮に関係する神社の鳥居です。

それもそのはず、須倍神社は平安中期の887年、伊勢神宮から勧請したものと伝わっているのです。いまから1,100年以上前のことです。

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古い記録には、都田は平安以前から神明宮(伊勢神宮)の御厨(みくりや)でした。地域の特産品を納める代わりに税を免除される、いわば神社の直轄地あるいは荘園です。この縁で神明宮を勧請したのでしょう。

須部神社は伊勢神宮と同様、当初は内宮と外宮に別れていました。内宮は現在地より2kmほど北東にあり(その場所は現在、すべという地名になっています)、外宮は都田川の少し下流、下都田の中津にありましたが、902年、内外の両社を統合して現在地に祀られました。

詳しくは以下のリンクをご覧ください。

・絶景かなドットコム 遠州東海「浜松エリア」コーナーに 遠州東海、都田の「須倍神社」 を追加しました。



●2017.9/19  京都観光「北野天満宮・連歌所の井戸」

北野天満宮の境内西側(御土居側)は2027年の「千百二十五年 半萬灯祭」に向けて改修工事が進んでいます。

「連歌所の井戸」周辺もかなり雰囲気が変わりましたのでご紹介します。連歌所の井戸は、楼門をくぐって左に進み、新しく作られた木の橋を渡ります。

橋の向こうに見えるエリアは、以前は受験生で賑わう絵馬の祈願所でしたが、現在は境内の北西に移動しています。

橋を渡って右手に進み、石の鳥居に向かいます。

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鳥居の右脇に見慣れない小さな祠のようなものがありますね。これが新しく整備された連歌所の井戸です。

以前の井戸はむき出しでした(下に掲載した2012年の写真をご覧下さい)。

詳しくは以下のリンクをご覧ください。

・絶景かなドットコム 京都観光「上京区」コーナーに 京都観光「北野天満宮・連歌所の井戸」 を追加しました。



●2017.9/17  大河ドラマ関連地巡り「三方ヶ原古戦場の碑」

本日の大河ドラマは「三方ヶ原の戦い」が話の中心でしたね。ドラマの地元に住んでいることを最大限活かして、本日放送内容を予測し、その関連地を事前にまわって来ました。そしてで書き上げたのが本日の記事です。


「三方ヶ原の戦い」は誰もが記憶する戦国時代の戦いです。上洛を果たそうとする武田軍と徳川・織田連合軍との戦いです。2017年9月17日放映のNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」では戦いの場面もなくサラッと数分で終わってしまいました。

三方ヶ原台地といえば東京都心がすっぽり入るほどの広大な台地で、当時は熊笹が茂り低木の松が少し生えた見晴らしの良い草原だったようです。武田軍と徳川軍が戦ったのは台地の北端「根洗(ねあらい)」と呼ばれるあたりだといわれています(諸説あるようですが)。現在、根洗の「三方原墓園」駐車場内には「三方原歴史文化保存会有志」によって石碑が建てられています。

家康軍は磐田の「人言坂(ひとことざか)」で戦いで破れ、次に要所の二俣城も12月19日に武田に明け渡します。武田軍は天竜川を渡り西進を続けます。

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まず秋葉街道を南進し、現在の東名高速にぶつかるあたりで三方ヶ原台地に登り(標高差50mあります)ますが、登ったポイントには諸説あって、大菩薩坂あるいは欠下坂だとわれていますが、いずれにしても2万の武田軍は450年前、台地に登る途中、筆者の自宅の庭先を進軍していったことになります!(自宅住所は秘密)。

武田軍は浜松城を無視して北上し、この石碑の約600m北にある「根洗松」付近に本陣を構えたと言われています。家安を浜松上から誘い出す作戦だったとか。これを知らず家康は武田軍を後ろから急襲しようと、12月22日、全軍を率いて浜松城を出陣します。しかし野戦を知り尽くしたさすがの武田信玄、左右に開いた魚鱗の陣で待ち構えていたのでした。

詳しくは以下のリンクをご覧ください。

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●2017.9/15  大河ドラマ、「出世法師 直虎ちゃん」と「出世大名 家康くん」

自分が住んでいる地域を舞台にNHK大河ドラマが繰り広げられることは一生に一度あるかないかでしょう。

そこに住む人間として地理的アドバンテージと知識を武器に、この好機を自身のブログに生かさない手はありません。「ラッキー!」の一言に尽きます。

「井伊谷」「気賀」「奥山」「川名」「瀬戸」「久留米木」「祝田」「伊平」「都田」、どれも人口が数百から数千の浜松北部郊外にある片田舎の小さな町(村)ですが、これらの地名が大河ドラマの中で繰り返し語られるなど考えたこともありませんでした。

それまで山間地で平々凡々な人生を歩んできた人に対し、いきなり「今日からあなたはスターです。」と言われて1万ルクスのスポットライトを浴びせられたようなものなのです。

さて、直虎に先立つこと5年、浜松市の公式キャラクターとして「出世大名 家康くん」が登場しました。戦国時代の17年間(29歳から45歳まで)、浜松城に居を構えた徳川家康はのちに天下統一しますが、いうなれば浜松は出世の足がかりになった地。このことから浜松城は別名「出世城」とも呼ばれています。

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家康くんも充分に可愛いのですが、さらに可愛いキャラ「直虎ちゃん」が2016年登場しました。

もちろんNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」のマスコットキャラクターです。頭にトラの耳、そして後ろにトラの尻尾を付け、ウナギの杖を持っています。額には井伊家の家紋。直虎ちゃんは家康くんとカップルで様々なイベントに出没しています。

さてダブルキャラクター体制となった浜松市ですが、大河ドラマ終了後も直虎ちゃんキャラを続けるのかどうか、これを書いている時点では明確になっていません。

詳しくは以下のリンクをご覧ください。

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●2017.9/13  遠州東海ミニグルメ、井伊谷のそば処「和(なごみ)」

引佐エリアは食事処が少なくランチする場所探しに苦労しますが、これに加えてNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」の舞台となった龍潭寺かいわいは特に観光客が多くランチ難民になりかねません。

そんな中で、そば処「和」(「なごみ」と読みます)は龍潭寺にも近くて便利な食事処です。

今日は平日ですが混雑を見越して11時30分前にお店に入ったところ先客は2組のみでした。

ゆっくり注文を、と思っていた矢先、どっとお客さんが押し寄せ、すぐに満席になってしまいました。

(お店の駐車場で車のナンバーを確認すると関東圏からの車が半数でした! 遠いところからよくぞお越しくださいました。静岡県民から御礼。)

今日はたいへん暑い日でしたので涼しいメニュー「冷海老おろしそば」(¥1,050)を注文しました。

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トッピングされているのは、海老天、野菜天、かまぼこ、わかめと削りカツオ、そして、、、オレンジ色は?

大根おろしに乗ったイクラでした。冷たいそばにソバつゆがかけられた、いわゆる「ぶっかけスタイル」。

ソバつゆは一見しょっぱい感じですが、実際は薄味で飲むことが出来ます。量的には価格の割にやや少なめでした。周りのテーブルを見回すと、カツ丼や天丼とざるそばのセットを注文されている方が多かったように思います。丼セットはこちらの一番人気だそうで、なるほど。

詳しくは以下のリンクをご覧ください。

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●2017.9/11  大河ドラマ聖地巡り「井伊谷城跡」

井伊家の居城「井伊谷城」をご紹介します。

神宮寺川と井伊谷川が合流する内側に井伊家の居館があり、その背後の山(城山)の上の城が居城でした。標高はさほど高くありません。

大河ドラマで取り上げられたことをきっかけとして良く整備されましたので、城跡まで10分ほどで登ることが出来ます。でも坂の勾配は結構あります。

山上は平らになっていて本丸跡です。井伊谷城は井伊家初代の井伊共保により築城。三岳山山頂の「三岳城」が本城で戦時の篭り城、井伊氏居館の背後の山上「城山城」は平時の居城という位置づけです。

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うっそうと木が立ち並んでいますが、もちろん城があった当時はここに本丸の建物があったのです。

井伊谷城が歴史に登場するもう一つは南北朝時代、井伊家は南朝に組します。1337年、井伊通政は後醍醐天皇の皇子、宗良親王を井伊谷に迎え入れ、1385年にこの地で没するまで井伊城を本拠としました。

詳しくは以下のリンクをご覧ください。

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●2017.9/9  京都猫めぐり「梅宮大社の猫さん、その後」

猫さんたちに癒やされる「梅宮大社」、最近の状況をご紹介します。ネコ好きにはとっくの昔から隠れ癒やしスポットでしたが、5月には岩合光昭さんの「プロフェッショナル仕事の流儀・猫を知れば、世界が変わる 」で紹介され、全国に知られるところとなりました。

これを書いている時点で梅宮大社で飼われている猫は14匹だそうです。ただ、境内で猫を探していると、いささか行動不審な猫さんにも遭遇しますが、これは近所の野良猫さんだそうです。首輪をつけていません。彼らは呼んでも姿勢を低くして逃げていくのみです。

最初に出会ったのは社務所の右側に並んでいる猫カゴでお休み中のタヌキさん、いやベルさんでした。おくつろぎ中のようでしたので頭を軽く撫でて次の猫さんのところへ。

梅苑を一周して出口に近いあたりでお散歩中の新顔、茶キジさんに遭遇。呼ぶと近づいてきてくれました。かなり若い子ですね。

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枯れた熊笹を差し出すとじゃれてきました。遊ぶのが大好きのようです。それでは、と、長い枯れ枝を探し、しばらくのあいだこの猫さんと戯れました。猫に興味ない人から見ると「この人達、ずいぶんヒマだなぁ。」と思うでしょうね。

猫さんたちのお気に入りの場所は社務所の受付窓口。猫達のお世話をされている宮司の奥様が満面の笑顔で。ふたりで鼻をこすり合わせてご挨拶。親子かな? 兄弟かな?

詳しくは以下のリンクをご覧ください。

・絶景かなドットコム ジジとクーの部屋「京都で出会った猫さん」コーナーに 京都猫めぐり「梅宮大社の猫さん、その後」 を追加しました。



●2017.9/7  京都グルメ、ロームシアター京都「京都モダンテラス」

2016年に改築オープンしたロームシアター京都(京都会館)の東側に隣接する「パークプラザ」内の「京都モダンテラス」でランチしましたのでご紹介します。パークプラザは、平安神宮を正面に見て左側、2階建ての建物です。

パークプラザの1階は「蔦屋書店」です。入ってすぐの階段を2階に上がると「京都モダンテラス」です。

2階に上がりました。天井が高くたいへん広々としています。この空間すべてが京都モダンテラスです。席のタイプは、テーブル、ソファ、カウンターの3種類。空いていれば好みの席に案内してもらえます。

カウンターで囲まれた中央部分がテーブル席、ママ友や女子会のグループが多かったように思います。一段低い東側はソファのカフェ席、こちらはカップル向け。屋外の2階テラスにも席があります。

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今日は昼食に時間を避けませんでしたのでパスタ+デザートでお願いしました。こちらは「12品目の野菜のスパゲッティ」(¥1,300)、京野菜がたっぷりのオイルベースです。赤と緑のコントラストがきれいですね。

こちらは「煮穴子とズッキーニのスパゲッティ」(¥1,400)。こちらはトマトベース。ふんだんに穴子が乗っていました。なお、余裕があれば「モダンテラスランチコース」(¥2,800)がお得ですのでおすすめします。

詳しくは以下のリンクをご覧ください。

・[1245] 絶景かなドットコム 京都観光「グルメ」コーナーに 京都グルメ、ロームシアター京都「京都モダンテラス」 を追加しました。



●2017.9/5  遠州東海ミニグルメ、井伊谷・龍潭寺前の「曳馬路」

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」の物語において最も重要な地のひとつ「龍潭寺」の真向かいという絶好のロケーションの「曳馬路」、混雑を見越して開店直後の入店です。

これまで何度か来たことのあるお店ですが、いずれも涼しい季節でした。今日は大変暑い日だったので「天おろしそば」(¥1,404)をお願いしました。

そばは見た目以上に大盛りです。平均的なお店の1.5倍以上はあるでしょう。

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トッピングは大根おろし、ワカメ、山菜、かまぼこ、海苔です。どれもタップリ。最初にダシをかけずに口に含みます。うん、蕎麦の香りが口に広がり、なかなかいい味。蕎麦つゆはしょう油っぽくなく出汁が主体の薄味です。最後に全部飲んでも大丈夫でした。

詳しくは以下のリンクをご覧ください。

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●2017.9/3  大河ドラマ聖地巡り、気賀の「堀川城跡」と「首塚」

大河ドラマゆかりの地、浜松市北区細江町気賀にある「堀川城跡」をご紹介します。場所は、浜松市北区の区役所から西に600mほど行ったところの道路脇、周囲は見渡す限り田園です。

戦国時代(1560年)、気賀の土豪たちによって建設された水上の城が堀川城です。NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」の中では龍雲丸が城の図面を書いていましたね。龍雲丸はフィクションですが、瀬戸方久は徳政令から免除される代わりに堀川城の備蓄のための出資した(1568年)という記録は事実として残っています。

生け垣によって囲まれた小さな公園が堀川城跡です。ただしあくまで位置は推定です。園内には「堀川城跡」の石柱と、その左側には「首塚」があります。

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この城が存在したのはたったの10年、当時、気賀は今川市の配下にありました。徳川が今川を倒すために侵攻してきますが浜名湖の北側ルートを採ります。調略された井伊谷三人衆(近藤康用、菅沼忠久、鈴木重時)の導きで刑部城や引馬城(のち浜松城)は容易に落城します。しかし、土豪や農民が立てこもる堀川城は抵抗が強く、1569年の総攻撃をもってついに落城します。

詳しくは以下のリンクをご覧ください。

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●2017.9/1  大河ドラマ聖地巡り、井伊谷「二宮神社と但馬社」

大河ドラマのストーリー展開も佳境に入り、ここのところ聖地の紹介が続いていますが、今日は浜松市北区井伊谷の古い神社「二宮神社」をご紹介します。

信州街道を奥山に向かう「井伊谷交差点」を通り過ぎて500m進んだところの左側に鳥居が現れます。これが一の鳥居です。ここを入って200mほど参道(?)を登っていけば二の鳥居が現れます。車で来た場合は右に進めば数台駐車可能な境内の駐車場があります。

平安中期の901年、奈良から井伊谷の荘司として赴任した三宅好用が始祖の「多道間守命」を祀ったのが始まりです。最初は三宅神社と呼ばれていました。その後、南北朝の争いの時代になって、南朝の宗良親王が井伊谷を拠点とし没しますが、この時、宗良親王も祭神として加え祭神が2柱となって「二宮神社」と改名します。

当初の本殿は井伊直虎の父、井伊直盛(大河ドラマでは杉本哲太さんが演じましたね)が1560年頃再建しました。

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さらに1573年に三方ヶ原の戦いによって武田軍により焼き払われましたが、1647年に再々建。その後、拝殿や神楽殿も作られましたが1958年の火災で全て焼け、現在の本殿は1965年のものです。狛犬も比較的新しいもののようです。

ところで本殿の右にある天王社に小野但馬守政次(大河ドラマでは高橋一生さんが熱演しましたね)が祀られていることはあまり知られていません。どちらかといえば徳川にはむかい1568年に近くの河原で処刑された小野但馬のことを話題にすることは後世井伊谷でははばかられてきたようで(特に井伊谷小野村では)これまであまり紹介されませんでした。

詳しくは以下のリンクをご覧ください。

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