梅雨が明けたのでしょうか。前日の曇り空からうってかわって青空が広がります。祇園祭のクライマックス、山鉾巡行は9時、四条烏丸からスタートです。
まず、稚児が長刀鉾に登るところから始まります、ご会所から長刀鉾に向かう稚児とお付きの人たち、
強力の方に乗せられて階段を長刀鉾に登る稚児。足を地につけてはならないのだそうです。
やっと定位置に座った稚児。いよいよ動き出します。
四条麩屋町に通りをまたいで張られた「しめ縄」。これを稚児が切ることで神域との結界を解き、山鉾は神域に進んでいくのです。
長刀鉾が「しめ縄」の前で停止しました。
稚児が太刀の振り下ろします。縄が切れると周囲を埋め尽くした見物客から「おおー」と歓声が上がりました。
さあ、出発。音頭取の「エーンヤーラヤーー」のかけ声を合図に、鉾がミシミシと音を立てて動き出します。
孟宗山(もうそうやま):中京区烏丸通四条上ル笋町(かたんなまち)。孟宗は中国24孝の1人、母の病気を治すためタケノコを探したが見つからず困っていたところ、タケノコが出てきた、という故事に由来します。
木賊山(とくさやま):下京区仏光寺通西洞院西入ル木賊山町。世阿弥の謡曲「木賊」に由来し、木賊刈りの老翁がさらわれた子を思いながら舞う場面を表現しています。老翁像が御神体。なお木賊とは常緑多年草、乾燥させてものを磨くのに使う草だそうです。
油天神山(あぶらてんじんやま):下京区油小路通綾小路下ル風早町。天明の大火後、町の復興に尽くしたお公家さん・風早家の屋敷に祀られていた天神が由来です。紅梅の花が飾られています。
函谷鉾(かんこぼこ):下京区四条通烏丸西入函谷鉾町。中国古代史話、戦国時代斉の孟嘗君が秦の国を逃れ函谷関に着いたが、この関は早朝の鶏の鳴き声で開く基底なので家来に真似させたところ、本物の鶏も一緒に鳴いたため関が開き難を逃れた、という故事に基づくもの。函谷鉾はくじ取らずです。
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