五条通から富小路通を下がってすぐ左手にあるのが本覚寺、今回は浄土宗檀信徒大会プレイベントのひとつとして開催された「京都浄土宗寺院・特別大公開」において内部が公開されました。
門を入ると、不思議なことに、さらにもう一つの門があります。江戸時代に描かれた「都名所図会」を見ても門は二重になっていません。近年、どこかの門を移設したのでしょうか。次回の訪問時にお寺の方に確認することにします。
本堂でご本尊にお参りしましたが、さすがに特別公開、多くの方がひっきりなしに参拝にいらっしゃっています。
さて、本覚寺で以前から気になっていたのは本堂の上り口左手に据えられた瓶(かめ)です。とてつもなく大きい。
瓶の表面に貼り付けられた文字はところどころ剥がれていますが、今回はすべて解読を試みます。
1行目「2500 LITER」 文字通り、この瓶の容量です。2,500リットルですから満杯で2.5トン! とてつもなく大きい。
2行目、3行目「? ? ZAN POTTERY MANUFACTURER」 会社名です。「?山製陶所」とでも訳しましょうか。剥がれた先頭のアルファベットはその痕跡から2文字のようですが。「五山」あるいは「乾山」でしょうか?
4行目「SPECIAL ST ? ? ? WARE, EART?ENW?RE」 Stoneware せっ器(せっき、硬質磁器)、 Earthenware 陶器です。
5行目「PORCELIN ? ? OR CHEMICAL ? N ? ? STRIES」 先頭は porcelain(磁器)の間違いでしょうか? 専門語なのか、辞書で見つかりませんでした。後半は Chemical Industries 化学工業ですね。
ついに長年の謎が解けました!
2015年6月24日の「京都新聞」に「毒ガス蒸留装置工場のれんが塀現存、京都、陶器会社の遺構」という物騒な記事が掲載されました。まさにこの壺を制作した会社のようです。会社名は「高山耕山化学陶器株式会社」。一部文字がかけていましたが、社名はぴったり当てはまります。
創業は明治五年、京都です。創業者名が「高山耕山」、耐酸性の陶器の製造を得意としたようです。現在は東京に移転しましたが事業内容は創業時と変わらず、耐酸セッキ煉瓦が中心のようです。
お寺の方にこの瓶の素性をお伺いしました。第二次大戦直後のこと、米国の占領下において、水を貯めておく容器を陶器で製作し駐留軍に納めたものだそうです。その後、用済みになったため、こちらで引き取ったとか。持って行き場が無いためここにおいてあるのだそうです。なるほど。
それにしても大きい。
境内で見つけた白い萩。
そして紫式部。
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