「京都浄土宗寺院・特別大公開」において上徳寺の本堂がが公開されました。上徳寺は世継地蔵としてよく知られていて、常時拝観できますが、本堂内の公開はめずらしいのです。
本堂は門を入って正面です。左側にコンクリートの階段が設置してあり、ここから入ります。この建物はもともと永観堂にの祖師堂だったものを明治になって移築しました。
堂内の写真は遠慮して撮影しませんでした。どうも撮影禁止ではなかったようですが(後で分かった)、堂内の写真は禁止、という習慣が身についてしまっていたものですから、、、。ご本尊にお参りしつつ、ご住職さん(?)が脇に座ってネコを抱いていらっしゃったのが気になって気になって、、、。上徳寺を創建した阿茶局の掛け軸もあったのですが、見逃してしまいました。
幾度となく訪問している事務所です。御朱印は以前にもらっているので今回はパス。
門を入って右手にあるザクロの古木、今年も実をつけていました。このような姿でよく生きながらえているものです。
お寺の方が大切に世話をされているのでしょうね。
ところで、上徳寺を含め多くの寺院が集まるこのエリアはかつて、平安時代の初頭に「源融」が「河原院」を建造した場所です。源融は光源氏のモデルといわれ、河原院は「源氏絵巻」という言葉が生まれる元になったはなやかな宮廷サロンでした。河原院の中には陸奥国の塩釜の浦の景色を模した庭が造られていて、難波から運んできた海水を用いて塩を焼き「塩竈(しおがま)」を興じていたそうです。そして今、上徳寺付近の地名は「本塩竈町」、1200年前の名残です。そしてさらに、上徳寺ご住職の家系の苗字は「塩竈」。
河原院跡を示す石碑は、河原町通りをわたって高瀬川沿いの道に建てられています。この辺りは河原院の東端に当たる場所、建物の裏は鴨川です。
以前に家族が河原町五条に住んでいましたので、この近辺の地理には明るく、特に富小路通の寺院群には幾度となく足を運びましたが、ほとんどが非観光寺院であるため拝観が叶いませんでした。今回の「京都浄土宗寺院・特別大公開」でついに念願が果たせました。残るは浄土宗以外の寺院。白毫寺や延寿寺など未拝観の寺院が残ります。いつ拝観できるのでしょうか。(写真は富小路通、長講堂の前、北に向かって撮影)
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