京都観光案内「京都日めくり・絶景ウェブログ」
6月中旬、ニューヨークへの家族旅行。細部を忘れてしまわないうちに旅行記をまとめ始めました。トップはMoMAです。
ニューヨーク近代美術館、通称MoMA(モマ)はロックフェラー・センターの4ブロック北側。美術の教科書に掲載されている超有名な近代絵画が目白押しの美術館。ニューヨーク観光では必ず訪れたい場所のひとつです。
クロークで荷物を預け、著名な絵を見逃さないよう、まず5階の「絵画・彫刻」フロアに上がります。(結果として大半の時間をここで過ごしてしまいましたが、、、)
うわ! ピカソ「アヴィニョンの娘たち」 次から次へと超有名な名画が現れます。こんなにたくさんの名画に囲まれて、感無量です。
2階のカフェ・イタリアンレストランで昼ごはん。メニューがすべてイタリアンで説明なし。親が日本の米軍基地で働いていて10年滞在したという日本語がネイティブの女の子の店員さんに、内容とサイズを教えてもらいながら、これだけ注文しました。三人前です。サラダが巨大! もし知らずに各自注文していたら大変なことになっていた(笑)。
詳しくは以下のリンクをご覧ください。
・絶景かなドットコム 「海外」ページに ニューヨーク旅行シリーズ1「近代美術館 MoMA」を追加しました。
太子山の会所は、綾小路通を油小路通で下がったところの東側。宵山の中心部からかなり外れていますので喧騒はありません。ゆっくり見学できます。でもにぎわっていますね。会所の向いは京都市登録有形文化財・秦家住宅です。「奇應丸」が目印。元禄年間に創業した薬屋さんです。
太子山(たいしやま)の由緒は、聖徳太子が四天王寺を建立するために良質の杉材を求めて山に入り、見つけた霊木で六角堂を建立した故事にまつわっています。ご神体は少年時代の聖徳太子。
会所のなかです。ご神体の聖徳太子像は一番奥、白幕の後ろ、飾り席ではよく見えませんね。左に金色に輝く織物は胴掛「金地孔雀唐草文インド刺繍」。
詳しくは以下のリンクをご覧ください。
・[988] 絶景かなドットコム 京都観光案内「歳時記」コーナーに 京都、祇園祭 会所シリーズ「太子山」を追加しました。
橋弁慶山の会所は、烏丸通から蛸薬師通を西に入って北面の5軒目。町家にあります。建物は重要無形民俗文化財指定の指定を受けています。
町家の会所に入ると正面に漆塗りの五条大橋。周囲には前掛、銅掛が展示してあります。ちなみに後ろに見えているのは富岡鉄斎作「椿石(ちんせき)霊鳥図」をもとの織られたタペストリ。
ご神体は2階に飾られています。残念ながら、2階に入れるのは関係者のみでした。我々観光客は外から2階を眺めるのみです。
五条大橋の上で牛若丸と弁慶の出会い、がテーマ。弁慶は長刀、牛若丸は橋のギボシの先端に下駄の前歯のみ、片足で立ちます。室町時代には既に巡航した記録があるります。
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・[987] 絶景かなドットコム 京都観光案内「歳時記」コーナーに 京都、祇園祭 会所シリーズ「橋弁慶山」を追加しました。
浄妙山の会所は、烏丸通から六角通を西に入ってすぐ北側です。
会所に入ると正面にご神体、右側にタペストリーが飾られています。
ご神体の左は一来法師。右は筒井浄妙、ふたりともすごい形相。身につけているよろいは室町時代の作、重要文化財です。会所ではこの二人、仲良く並んでいますが、、、 巡行の時はアクロバットです。一条法師が空中に浮かんでいます。
宇治川の合戦で、筒井浄妙は一番乗りを果たそうと、宇治川の橋に来た時、一来法師が浄妙の頭を飛び越えて一番になってしまった、という故事です。腕一本で本体を支えています。よく作ったものですね。
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・[986] 絶景かなドットコム 京都観光案内「歳時記」コーナーに 京都、祇園祭 会所シリーズ「浄妙山」を追加しました。
「リストランテ・イル マルカンポ」は遠鉄電車沿い、助信町と八幡駅の中間に位置し、おしゃれな空間でセミフォーマルな雰囲気。
イタリア・トスカーナ地方の素材を活かした本場の郷土料理はいかが。ランチは3タイプ、ディナーも3タイプ。アラカルトもOKです。
ランチメニューのコースは、「サラダ、パスタ、ドルチェ、飲み物」¥1,500、「前菜盛り合わせ、パスタ、ドルチェ、飲み物」¥1,800、「前菜盛り合わせ、パスタ、メイン、ドルチェ、飲み物」¥2,500 の3タイプ。
今日はメイン付きをお願いしました。パスタとメインは小さな黒板から選びます。
「カジキマグロと松の実、レーズンのラグーソース シラクーサ風」 ラグーソースはボロネーゼとほぼ同じ意味。肉などを煮込んだソース。また、シラクーサはシチリアの町の名前、シチリア風。
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・絶景かなドットコム 遠州東海「ミニグルメ」コーナーに 遠州東海ミニグルメ、「イルマルカンポ」でランチ を追加しました。
鷹山の会所は、烏丸通から三条通を西に入り、室町通を超えて左手の「大学堂」というめがねやさんです。さっそく入ってみましょう。
正面に三体のご神体、それぞれ特徴がありますね。
中央の人形。手前に盛られたチマキをひとつ手に持って、おいしそうに食べようとしています。背中には樽を背負っています。「樽負い」。
かつてはチマキをもった手がカラクリになっていて、チマキを口に持っていったそうですよ。
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・[985] 絶景かなドットコム 京都観光案内「歳時記」コーナーに 京都、祇園祭 会所シリーズ「鷹山」を追加しました。
祇園祭の声が聞かれる季節になりました。今年から、前祭、後祭に分かれます。さて、どうなることやら。
山鉾の各会所を順にご紹介してきましたが、昨年は途中で終わってしまいました。過去に攝り溜めた写真を駆使して会所シリーズを復活継続します。
今日は布袋山、山鉾巡行には参加しない「休み山」です。山の復元が待たれます。
なお、休み山であっても、宵山の間は会所が解説されチマキなどの授与があります。
詳しくは以下のリンクをご覧ください。
・[984] 絶景かなドットコム 京都観光案内「歳時記」コーナーに 京都、祇園祭 会所シリーズ「布袋山」を追加しました。
日本からは遠い遠いアメリカ東海岸、それも日本人にとってあまりメジャーではない都市ボストン、今日の記事でボストン旅行記の締めくくりです。計画をされている方、ご参考になさってください。
「ホップオン/オフ」とは、「飛び乗る・飛び降りる」程度の意味ですが、気楽に乗り降りできるガイド付きバスはボストン市内に何社かあります。今回は「Old Town Trolley」を利用しました。
16ヶ所のバスストップがあり、出発点は「New England Aquarium」です。旅行出発前に自宅でネット予約し、e-Ticketを印刷して持参、無事乗車出来ました。
トロリーといっても電気軌道の乗り物ではありません。普通のバスです。ただ外観がトロリー電車。かつては電気軌道者だったのかもしれません。
この会社の斜体は緑とオレンジのツートン、他の会社は赤だったり、いろいろあります。
詳しくは以下のリンクをご覧ください。
・絶景かなドットコム 「海外」コーナーに 乗り降り自由トロリーでボストン市内観光 を追加しました。
「Amtrak」は、全米鉄道旅行公社。列車による旅客輸送を運営する公共団体です。ボストン - ニューヨーク - ワシントンD.C.間を走るアセラ・エクスプレスをはじめ、主要大都市間を結びます。
今回はこの Amtrakを利用して、ニューヨークからボストン日帰り旅行をしましたのでレポートします。出発駅はペン・ステーション(Penn Station)、マジゾンスクエアガーデンの下にある巨大なターミナル駅です。
Acela Express の先頭車両、軌道車です。
ビジネスクラスの席は対面式、席の幅は新幹線のグリーン車ほど。テーブルがついていて、バソコンを置いて仕事(?)をする人が多かった。電源もあり、ネットも使えます。
詳しくは以下のリンクをご覧ください。
・絶景かなドットコム 「海外」コーナーに ニューヨークからボストンへ、列車の旅 を追加しました。
ボストンの「ビーコンヒル」は、市内の中心部における小高い丘、優雅な住宅街です。マウントバーノン通り、エーコン通りには18世紀から19世紀に建てられた赤レンガ造りの住宅が軒を連ね、アングロサクソン系の移民の子孫たちが多く暮らす高級住宅街。
ヨーロッパ的な雰囲気を味わえます。またチャールズ通り沿いにはおしゃれな店が沢山並んでいます。骨董品店もありました。
右写真はエーコン通りです。この細い路地はプライベート空間、立ち入りはご遠慮ください。路面の中央部には玉石が敷き詰められていて歩きにくそう。
駐車は道路が基本。自動車が発明される以前からある町並みですから。停められるのは住民のみです。
詳しくは以下のリンクをご覧ください。
・絶景かなドットコム 「海外」コーナーに 海外、ボストンのビーコンヒル を追加しました。
ボストンのフリーダムトレイルはアメリカの建国にゆかりの地16ヶ所を巡る遊歩道ですが、今回は前半の3分の2を逆回りに歩きました。
出発点は「ファニエル・ホールとクインシー・マーケット」。観光客が最も多く集まるエリアです。茶色い建物はファニュエル・ホール、1742年の建造(3階部分は1806年の増築)。街の集会場として使われました。右に見える赤い線が「フリーダム・トレイル」。赤い煉瓦が埋め込まれていたり、場所によっては赤いペンキで線が引かれています。
前には「サミュエル・アダムスの像」、アメリカの独立に大きな役割を果たした建国の志士です。
赤いラインにそって進んでいきます。次は「旧州議事堂 Old State House」。1713年に建築された、ボストンで最も古い公共の建物です。
建物の前の路面にはアメリカ独立の引き金となった「ボストン虐殺事件 1770年3月5日 Boston Massacre Site」を記念する円形のモニュメントが埋められています。
詳しくは以下のリンクをご覧ください。
・絶景かなドットコム 「海外」コーナーに 海外、ボストンのフリーダムトレイル を追加しました。
京都日めくりの更新がしばらく途絶えてしまい、申し訳ありません。
実は海外旅行、ニューヨークとボストン観光に行っていたのです。本日夜、無事帰宅しました。
駆け足での正味5日間の旅、これから珍道中の写真をアップしていきますね。
左の写真は説明するまでもない自由の女神。
そして右の写真はエンパイアステートビルからの眺望です。
その他、有名な観光名所のほとんどを回ったため、かなりのハードスケジュール、足に豆が出来ました(笑)。
岩上神社は巨石がご神体の小さな小さな神社。地元では「岩上さん」と呼ばれ親しまれています。授乳、子育てのご利益があります。
場所は本隆寺の北側、雨宝院の西側すぐの位置。人の背丈ほどある大きな岩が祀られています。
左側面からだと岩の様子がよくわかります。言い伝えによると、後陽成天皇の時代(安土桃山時代)、この岩がすすり泣いたり子供に化けたりしたそうな。で、「禿童石(かむろいし)」とも呼ばれたそうです。なるほど、横から眺めると人がうずくまっているような、怪しい雰囲気です。
周辺には西陣織の「織成館」、雨宝院、本隆寺、首途八幡宮などがあります。近くに来られた際はちょっと立ち寄って岩を眺めていかれてはいかがでしょうか?
詳しくは以下のリンクをご覧ください。
・[983] 絶景かなドットコム 京都観光案内「上京区」コーナーに 京都、上京区の岩上神社 を追加しました。
浜名湖東岸の古人見町「道友」は人気の和定食スポット。久々にランチに伺いました。
駐車場が2倍に広がっていたため、以前のように駐車で苦労することはなくなりましたが、席は順番待ち、12時に名前を書いて約20分の待ちです。相変わらずの人気店。
平日ランチは、「春」天ぷらとお刺身定食 ¥800、「夏」とんかつ定食 ¥800、「うな重」¥1,500、これらに加え「日替わりランチ」¥800があります。今日はこれに決定。
注文してほとんど待つことなく膳が運ばれてきました。期待を裏切らず、てんこ盛りの御膳です。
詳しくは以下のリンクをご覧ください。
・絶景かなドットコム 遠州東海「グルメ」コーナーに 遠州東海ミニグルメ、「通友 - みちとも」の日替わりランチ を追加しました。
夕刻になれば舞妓さんの行き交う先斗町。納涼床を体験しました。
今回は創作和食の「みます屋」で。比較的リーゾナブルな予算で床(ゆか)が体験できます。「高瀬川コース」¥4,800をお願いしました。
写真は「一の膳」です。左上の箱は「湯葉刺し、南瓜真丈 鮎甘露煮、三度豆胡麻和え、酢取茗荷」、お造りは「二種盛り」。写真には入っていませんがお酒は佐々木酒造の「京生粋」。
このお店のマネージャーさんとは10年来の顔なじみ、至れりつくせりのサービスをありがとうございました。なお、伺った5月のこの日はやや肌寒い日でしたので、ひざ掛けが必要でした。かなり暑い日だと床の下を流れる禊川の冷気でちょうどよい涼しさだと思います。
詳しくは以下のリンクをご覧ください。
・絶景かなドットコム 京都観光案内「グルメ」コーナーに 京都ミニグルメ、先斗町の「みます屋 」で納涼床 を追加しました。
大原寂光院は高倉天皇妃・平徳子(建礼門院)が出家して余生を送った寺院として知られています。寂光院の拝観入口の右手に、まっすぐ伸びた階段がありますが、これが建礼門院の墓地に通じる入口。
最上部に到着。建礼門院の陵墓です。宮内庁の管理する皇室のお墓はほとんどが装飾もなく同じに見えます。ここ建礼門院のお墓も同様でした。
はるか800年以上前の歴史物語、源氏と平家に思いを馳せつつお参りしました。
ここは皇室のお墓として宮内庁の管轄です。門が開いているのは平日の5時まで、土日は閉まっていますので休日観光が中心の方にはお参りする機会がないかもしれませんのでご紹介しました。
詳しくは以下のリンクをご覧ください。
・[982] 絶景かなドットコム 京都観光案内「モニュメント」コーナーに 京都、大原寂光院「建礼門院の墓 」 を追加しました。
「源氏物語」の主人公、光源氏のモデルになったと言われる源融(みなもとのとおる)の墓が清涼寺の境内にありますのでご案内します。源融の墓は多宝塔の裏手。
墓石として宝篋印塔がひとつ立っています。源融は、平安初期に活躍。嵯峨天皇の十二男です。「六条河原院」(現在の五条通の南側、渉成園のあたりまでの一帯)とよばれる大邸宅を造影したことでも知られています。
小倉百人一首には「河原左大臣」として登場。「みちのくの しのぶもぢずり誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに」の句は覚えましたね。
もともと清凉寺のエリアは源融の山荘「棲霞観(せいかかん)」があった場所。
死後、子息によって棲霞寺(せいかじ)とされましたが、こちらの本尊は阿弥陀三尊像。これが現在の阿弥陀堂(清涼寺本堂の右側にある建物)です。いまから1200年前の出来事。
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・[981] 絶景かなドットコム 京都観光案内「モニュメント」コーナーに 京都、清涼寺境内に「源融の墓 」を発見 を追加しました。
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